酒をやめてhappyになろう!

31年間飲んできた酒をついにやめる日が来ました。でも、「断酒」はつらいよ。。。さて、いつまで続くか、続けられるか。はっきり言って、自信なし!《飲酒コントロール不能な「のみすけ」が書いてます。適正飲酒の方、酒を愛飲されている方は、当ブログをスルー(無視)して下さい》[コメント気まぐれ返信中m(_"_)m]

断酒・断酒・断酒!!

断酒のススメ(断酒3年310日目)

 自分が酒を断ち始めた頃は、誰かにそれを言うのがとても気が引けた。

 

 当時の心の中では、酒を飲む人が普通かつ当たり前で、飲まない人、やめた人は、どこかおかしい人であった。それだけ、飲酒行為が正当であることへの刷り込みが強烈だったわけだ。

 

 それがどうだろう。暫くして、断酒生活が軌道に乗って来ると、その快適さを、他の飲んだくれにも伝えたくなって来る。
 

 しかし、断酒には定番の本、『禁酒セラピー』でも、他人に断酒を勧めない、と書かれていた。それは以前、このブログにも書いたことがある。

 

 特定の商品を買うことを勧めたり、或いはその逆に買うなと不買運動をするのとは違い、酒を断つことを勧める。ただ、断つだけではなく、その断酒生活の素晴らしさを宣伝する。

 

 でも、その行為は、「暖簾に腕押し」「糠に釘」「柳に風」。つまり、何の意味も無い。徒労に終わることが判明する。
 

 そんなわけで、他人に断酒を勧めないことを自分の信条としていたのだが、最近、考え方が変わった。

 

 それは、玄侑宗久氏のエッセイ集『ベラボーな生活 禅道場の「非常識」な日々』と言う本の中の、次のようなエピソードにも関係する。

 

 玄侑宗久氏が新米の禅僧として修業していた頃の、その寺の管長をしていた方の逸話だ。

 

 毎朝早く、管長は、境内を自転車で散歩しながら、出会う人すべてに「おはようございます」と挨拶をしていた。もちろん大抵の人は挨拶を返すわけだが、1人だけ頑なに無言の爺さんがいたそうだ。

 

 管長は、それでも、何年も毎朝同じように、その老人に「おはようございます」と挨拶を続けた。相手が自分に挨拶を返してくれることなど何も期待せず、朝だから自分から気持ちよく挨拶をしていたのだろうか。流石は管長を務めるだけの修業を積んだ禅僧である。

 

 3年ほど経ったある朝、同じように管長が「おはようございます」と爺さんに挨拶すると、爺さんは、管長のところに近寄って来て、突然号泣したそうだ。そしてそれ以後、その爺さんは、丸で別人のように明るくなったそうだ。

 

 このエピソードが物語ることは、とても奥が深い。

 

 断酒を勧めると言っても、もちろん、しつこく勧めているわけではない。あっさりと、「酒はやめたほうが快適ですよ!」程度に、断酒の素晴らしさを伝える程度だ。それに、私がたまに会う飲んだくれの人全員が分かってくれるわけもない。寧ろ、鼻先でふふんとあしらわれて終わりだろう。それは良く分かっている。

 

 けれども、私が飲まない生活を明るく送りつつ、あなたもひとつ断酒をどうですか?と勧めるそのわけを、3年後でも、10年後でも、上のエピソードの爺さんのように、分かってくれることもあるかもしれない。

 

 飲んだくれの知り合いに、「断酒のススメ」を説くのは、その人のためではなくて、結局は自分のためなのかな、とも思う。

 

 

 

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