「命とスマホ」どちらが大切ですか?
歩きスマホの危険を知らせるポスターが、駅の壁に貼られていた。これを見て、ドキリとするか、自分は関係ないと思うか、それが命の分かれ目だろう。
酒も同じである。
「命と酒」どちらが大切ですか?
「命とアルコール」どちらが大切ですか?
自分の命だけでなく、スマホも酒も、場合によっては、他人の命をも奪う。つい最近の、草加での母子死傷事故では、容疑者の運転手は、運転中にスマホを見ていたそうだ。
自分の命ならば、自分がいけないのだから、まだ諦めがつく。その結果は自分の死によって自分の中で閉じる。他人の命は、そうはいかない。自分の勝手な行動によって、全く関係のない他人の命が失われるかもしれないのだ。
飲んでいた頃は、何も考えず、ただ何となく飲んでいただけかもしれない。当たり前に毎日飲んでいただけかもしれない。
私が覚醒した時、頭を過ったのは、
「こんなことを続けていたら、いつか酒で命を落とす」
だった。
やめなければ、先がない。断酒は、究極の選択である。生半可な決意では出来ない。自分に、「命と酒どちらを選ぶのか?」と、問いかけて、命、と答えが出て初めて進むのかもしれない。
一気飲みなどで若い命が失われることがある。大学などで多い。難関をくぐり抜けて、せっかく入学したのに、サークルやら部活動やらの飲み会で、飲んだこともない酒を飲まされる。
特に、若い人たちに、「命と酒」どちらが大切なのか、それを考えてもらいたい。酒に関して、あまりにも軽く考え過ぎている。飲み過ぎると死ぬかもしれないのに、そこまで考えない。単にイベントを盛り上げるツールくらいにしか酒を捉えていない。
この辺り、大人に大いに責任があると思う。酒は華やかで明るいと言うイメージしか植え付けられていないから、若者は気軽に飲んでしまう。
酒の危険性、アルコールの有害性、これをもっと知らしめることが必要なのに、世間では今でも、アルコールの弊害は、殆ど知られていない。精々が、飲み過ぎたおっさんがアルコール依存症になって入院するような、そんな特殊なケースしか浮かばないのではなかろうか。
酒をやめるとき、やめているときに、もし飲みたくてたまらない感情が湧き起こったら、自分にとって「命と酒」どちらが大切なのか、問いかけて、良く考えてみてほしい。
過剰な飲酒、問題のある飲酒は、遅かれ早かれ、自分の命に影響してくるからである。飲み続けて、命が蝕まれるのは目に見えている。だからこそ、「命と酒」どちらを自分は選ぶのか、真剣に考えるべきなのだ。
そして、そうだ、自分は酒ではなく命を選ぶのだ!と、威風堂々と断酒を続けるのだ。
それでも、酒を飲みたい?
私が問う。「命と酒」どちらが大切?
もし、「酒」と答えるなら、それも人生だ。止めようがない。
もし、「命」と答えるならば、飲みたくたって、飲まない生活を続けてゆく他ないのである。そういう方は、一緒に、これからも断酒を続けようではないか!
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