やめたはいいが、飲みたい、飲みたくてたまらない。
この感情には、しばらくは悩まされ、振り回される。それまで好きなだけ飲んでいたのを断ったわけだから当たり前だろうけれど、当人にしてみれば、辛くて仕方がない。
もちろん、私もそうだった。あの頃は、酒に対して、あまりにも漠然として、そして曖昧な思い入れを持っていた。つまり、自分にとっての酒の顔がはっきりとしていなかった。
普通、人に合ったら、先ず顔を見る。話しながら、その表情の変化を注視するだろう。笑顔だろうか、怒ってないだろうか、楽しんでいるだろうか・・・
酒も、自分にとってのその顔がはっきりしているかどうか、考えてみたらどうだろうか。私にとっての酒は、かなり凶悪な顔つきをしている。鬼のような形相と言っていい。
漠然と、ぼんやりと、飲んでいた頃の酔い心地などを思い出し、飲むと気持ちがいいとか、嫌なことから逃げることができるとか、酒に対して曖昧な感情を持ったままだと、飲みたくてたまらなくなってしまう。キケンである。
酒の正体を突き止め、酒の顔をくっきりと頭の中に描けると、強い。
飲みたくなったら、酒の顔を頭に浮かべ、あ~アイツが来たな、と警戒し拒否する。それは、いつも書いている小悪魔の顔でも良い。
自分にとっての酒は、一体どんな存在なのか。曖昧なのか鮮明なのか、言葉を変えると、漠然としているのか明確なのか。
これは、飽くまでも自分にとってはどうなのか、であって、他人は全く関係ない。だから、適正量で楽しい飲酒をしている人がいても、それを羨ましいなどと思ってはいけない。自分には出来ないことだから。
過去に、過剰飲酒によって一体どんなことが起きたのか、なぜ自分は酒を断ったのか、その原点にいつも立ち返り、酒の正体を突き止める努力を日々怠らないようにすれば、きっと酒の顔がくっきりと見えてくる。
いつまでも酒に対する思いが漠然としているようだと、辛いままの断酒が続く。酒は自分にとっては毒物であると、はっきりと認めるには、自分で学ばなければならない。
種類も豊富で、色んな名前が付いていて、味もアルコール度数も本当に様々な酒だが、自分にとっては、どれを飲んでも結果は同じ。どれも飲むわけには行かない。
実際のところ、嫌酒が進むと、酒は自分の一番嫌いな人のような存在になる。近寄るのも嫌だし、顔も見たくない、と言った感じ。
聖人でもない限り、博愛の精神で生きている人はいない。酒を思いっきり嫌いな顔にして、遠ざけて毛嫌いしてしまうのも手だ。
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