酒をやめてhappyになろう!

31年間飲んできた酒をついにやめる日が来ました。でも、「断酒」はつらいよ。。。さて、いつまで続くか、続けられるか。はっきり言って、自信なし!《飲酒コントロール不能な「のみすけ」が書いてます。適正飲酒の方、酒を愛飲されている方は、当ブログをスルー(無視)して下さい》[コメント気まぐれ返信中m(_"_)m]

断酒・断酒・断酒!!

酔っ払いは真っすぐにすら歩けない(断酒3年362日目)

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 本日は、「第6回 震災復興元気市」が、埼玉県の飯能市で開かれた。

 

 それに合わせて、私鉄のウォーキングイベントが開催され、かみさんと参加してきた。入間川添いを歩き、多峯主山を登って山頂から下界を眺め、中央公園で開かれている震災復興元気市へと。

 

 6年前の大震災の時は、まだまだ大酒を飲んでいた私が、朝早くから起きて、かみさんとお握りを作り、早めの電車で飯能へと向かった。

 

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 人間変われば変わるものである。

 

 今日歩いたコースは、アップダウンが激しくて、健脚の私でも結構スタミナを必要とした。かみさんも歩き切った。何度も途中で休憩をしたけれど。

 

 雲一つない青空の下、真っすぐ前を見て歩く。沢山の人が参加していたが、酒臭い人も、酒を飲みながら歩く人も、いない。前の晩に飲み過ぎていたら、このようなイベントには参加出来ないし、そもそも飲んだくれはこのようなイベントに参加しないのだろう。

 

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 私は歩きつつ、酔っ払いは平坦な道を真っすぐにすら歩けないな、と思った。

 

 6年前の大震災を重ね合わせて、何事もない平穏な日常生活を送りつつあるのは、単なる幻想であって、人間生きていれば、たった今、命に関わる何かが起きても不思議ではないことを考えた。

 

 いざ、何かが起きた時に、もしへべれけに酔っ払っていたとしたら、的確な判断など出来るわけもなく、ただその事象に抗うこともなく、押し流されてしまう。

 

ただ、6年前の大震災では、酒など全く関係なく、多くの素面の人が、成す術もなく命を落としたのは、とても痛ましく、ただただご冥福をお祈りする。f:id:anomiyakun:20170311203501j:plain

 

 私の心に去来したのは、もし、そのような時に、自分が酔っ払っていたとした場合のことだ。真っすぐにすら歩けないではないか。例えば、近くの高い場所に登れば助かるとしても、そこに登ることを思いつき、実行に移すことが、酔っ払った頭で出来るだろうか。

 

 酒を飲んで酔う行為は、平穏な日常生活が連続する前提である。もちろん、その酔いの度合いには、ほろ酔いから泥酔まで、段階があるが、とことん飲んでしまう私のような人間は、酔っ払ってひっくり返っている間に何が起こっても気付かない。

 

 このことの恐ろしさが分かれば、自ずと酒をやめるだろう。

 

 自分の二本の足で、しっかりと大地を踏みしめ、前を見て真っすぐに歩くこと。酔っ払うと、これが出来なくなる。つまり、正常な人間の行動が出来なくなる。千鳥足では、目的地へ向かうことが出来ないのだ。

 

 いつ何時でも、体の中にアルコールが滞留していないこと。素面であること。このことの安心感は、酒を断ってみないと分からない。

 

 

 

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