断酒仲間あっちゃんの、ブログを読んで、オフ会への期待と不安について私も考えた。
もちろん、期待のほうが大きい。でも、人間誰しも、不安を持っている。昨年の11月、12月にお会いした方との再会、新たに参加して下さる方との初顔合わせ。これらは、ワクワクする。
一方で、ただ断酒のブログを書いてきただけの、こんなおっさんがそんなに沢山の人と会って、話が出来るのかな、とか、なんだこんなおっさんだったのかと思われないかな、とか不安があるのも事実。
でもね!あっちゃんへのコメントにも書いたのだけれど、人間は、見た目も心も、いつも同じではない。波がある。けれども、私と言う人間は、同じだ。だから、飾らず、素のままでお会いしに行こうと思った。(・・・でも、ヒゲ剃って、床屋くらいは行かないとね(笑))
人間には波があるように、飲酒も断酒も、高低差があることを考えた。それを今日のタイトルにした。
飲酒は、底なしの谷である。ひたすら転げ落ちて行く。
これは、中学の理科で学ぶ自由落下運動である。時間と共に速さが増す。自由に飲めば飲むほど、奈落の底へまっしぐら。
断酒は、頂上の見える山である。一歩一歩着実に険しい道を登れば、誰でも頂上に着く。その後の下山はなだらかである。
登り切ってしまえば、後はゆっくりとのんびりと下りて行けば良い。但し、油断していると、そこここに口を開けている穴に転げ落ちる。
底が真っ暗なのに、落ちている感覚が無い飲んだくれ。寧ろ、舞っている感覚だから始末に負えない。フリーフォール(自由落下)だが、そういつまでも続かない。地上に叩き付けらるのも時間の問題である。
こんな風にブログを書きながら、酔っぱらっていた頃を思い出すと、何故か切なくなる。
あの頃は、飲んで酔っ払って、気分は上々で空を飛び、雲のようにフワフワと宙に浮いていたのかと思いきや、底なしの谷へ真っ逆さまに堕ちていたのだ。まさに、フリーフォールを味わっていただけだった。
それにしても、私のフリーフォールは、思い切り叩き付けられて覚醒するまで、30年以上も続いた。本当は、何度も失態をやらかし、地上に叩き付けられていたのだが、気付かず、もっと深い谷を選んでは、堕ちて行ったのだ。
覚醒後にいきなり何の準備もなく始めた断酒山の登山は、かなりキツく厳しいものであったが、何とか登っている。どこが頂上か分からないが、飲酒欲求に悩まされなくなった頃が頂上だったのだろうか。
断酒後の飲酒欲求にも波があり、ほぼ平坦になるまで、1年かかった。
冒頭の話題に戻る。
そんなわけで、あっちゃん、不安よりも期待に思いを込めて、オフ会に臨もう!
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