飲酒が当たり前の、おかしな世の中で、酒を断つことが如何に大変なことか。
飲まないランナーさんのコメントは、断酒している人にはとても参考になるだろう。ご自分の状態や心境を、隠すことなくコメントして下さった飲まないランナーさんには、感謝の意を表すると共に、今後の断酒を応援させて頂きたい。
これまで酒を当たり前に飲んでいた人が、断酒後生きて行く上では、飲酒への誘惑となる様々な障害がある。
以下に述べるのは、私の日頃の断酒に対する考えである。厳しいことを書くことは、お許し頂きたい。
断酒せざるを得ない何らかの気付きを経て、断酒を実践している者は、どんな状況であっても、一滴たりとも酒を身体に入れてはいけない。これが断酒の大前提である。
それでも、どうしても避けられない事態に見舞われた場合、どうしたらいいのか?
極論ではあるが、真理でもあるので、書く。
断酒の大前提として、一滴でも飲めば自分は死んでしまうこと。これを肝に銘ずるなら、どんな場面に遭遇しても、生きるために自分のすべきことは明確になるだろう。
これを簡潔に5・7・5で表すならば・・・
『飲めば死ぬ 断つことのみが 生きる道』
(のめばしぬ たつことのみが いきるみち)
死ぬとは、肉体の死ではなくて、精神的な死を意味する。アルコールに支配された飲んだくれ人間は、自分の人生を生きてはいない。
普段は断っているけれど、〇〇のケースでは、どうしても飲まざるを得ない。とした場合に、この〇〇が、断酒を終わらせることになるのだ。断酒に於いては、ひとつも例外は許されない。
酒とは、他の人にとっては楽しみな飲み物であっても、自分にとっては、飲めば死に至る《毒》である。
仕事上とか、付き合いとかで、どうしても飲酒を断れないことがあるのは、十分に分かる。けれども、そこでもう一歩踏み込んで、相手の気持ちをそこまで慮って、自分が良しとしない行動を取ることの意味を考えてみることが大事だ。
《断酒》が、絶対に一歩も譲ることの出来ない、固く誓った自分の主義・信条であることを、相手に心の底から訴えて理解してもらうのが一番だと、私は考える。
最後に、私の断酒に対する心境を短歌に仕立ててみた。
『生きるなら 酒断つ道の 茨でも 貫き通す これぞ我が道』
(いきるなら さけたつみちの いばらでも つらぬきとおす これぞわがみち)
本当の自分の人生を生きたいならば、断酒したことが茨のように苦難の道であっても、めげずに自分の断酒を貫き通すことこそ、自分の生き方だ。
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