昨日[2017/10/31]の『断酒の卒業』記事に、多くの方から、真摯なコメント!
コメントは、それぞれの方の断酒への熱き思い。
当ブログに集う方はみなさん、断酒の哲学者、フィロソファーであることを痛感した。
本家哲学の分野では、この世をどう捉えようとも、それはその人の考え方ひとつである。どんなに歴史上有名な哲学者でも、3歳の子供でも、その思想に上下は無い。どう考えるかは自由である。
断酒も、酒を断っている人ならば、如何様に論じようとも、考えようとも、捉えようとも、OK!だと、私は考える。
これは、今を生きている人が、人間について、この世界について、沈思黙考し、どのように捉えようとも、それを他人に押し付けない限りOK!と同じことだ。
酒を断つこと(断酒)、その行為は各人同じであっても、思いはそれぞれである。楽しんでいる人もいれば、病気のために仕方なく飲まない人もいれば、苦痛を我慢することを己に課す修行僧のような人だっているだろう。
私は、酒なんぞを死ぬまで恋偲んで、苦しむのは嫌だから、断酒は楽しまなきゃ損!のスタンスだが。
酒を片手に、飲んだくれている奴が断酒を語るわけではないのだから、そこに真摯なる思想と議論が興るのは、当然のことである。
断酒のフィロソファー(哲学者)たらんとするには、断酒が安定している必要はなく、今日からやめたあなたでも、自分の断酒のことを真剣に考えるならば、我ら断酒のフィロソファーの仲間入りである。
一緒に、酒を断ちながら、大いに断酒を論じようではないか!
断酒そのものは、酒を断ち、その酒を断ち続けることについてずっと考え続ける、哲学ではなかろうか。
あなたも私も、断酒の偉大なるフィロソファーなのである。誇りを持とう。
私は、酒を飲まない理由にこれを付け加える予定である。
ちょっと、シミュレーションしてみよう。
出演者:うるさい酔っ払い(→酔っ払い)、断酒のフィロソファー・のみすけ
酔っ払い:「なんで、酒飲まないの?」
のみすけ:「私は断酒を哲学しているのです・・・」
酔っ払い:「だんしゅ、てつがく・・・?!」(頭がアルコールでやられているので、意味が分からず・・・)
こんな感じで、相手を煙に巻くのもおもしろいねぇ~(笑)
酔っ払いの人生は酒任せ、断酒erの人生は自分で進む。
酔っ払いは脳みそを使わない、断酒erの脳みそはフル稼働。
酔っ払いは酒のことしか考えない、断酒erは人生を考える。
断酒に、正しいとか間違いとかは無い。あるのは、それぞれ各人の、断酒のみ。
日々、酒を断ちつつ、己の断酒を哲学する。我らは断酒のフィロソファー!
なので、断酒に卒業があるとする人もいるし、いやいや、断酒に卒業などあり得ないとする人もいるわけである。それぞれの断酒哲学があるだけなのだ。
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