年末に近づくと、あっちでもこっちでも、クリスマス。
11月の終わりごろから、街中では飾りつけがけばけばしく、テレビからラジオからは、判で押したように、聴き慣れた音楽が流れて来る。
イエス・キリストの生誕など関係なく、主役は、クリスマスケーキとサンタクロースと飾りつけられたツリーである。
年末の風物詩として定着し、それが一大イベントとなって、人々はお祭り騒ぎを楽しむ。
それはそれで、良い。我が家でも、今晩、ケーキを食べた。
だが、私は生来の天邪鬼だからだろうか、ただ何も考えずにクリスマス、クリスマスと、騒ぐ世の中に、何だかとても違和感を感ずる。
裏にいる奴(←誰だ!?)に、都合よく踊らされているだけではないのか?
これで、25日を過ぎると、クリスマス(キリスト教)はどこかへ消え去り、今度は大晦日の除夜の鐘(仏教)、そして元旦の初詣だ(神道)。
節操がないと言うか、信念を持たないと言うか・・・などと感じている自分も、この流れで年末年始をこれまで過ごして来たわけだが。
酒も、全く同じで、酒って何だろう、などとは考えず、大人になれば飲むもの、程度の認識のまま、ずっと飲んで来たわけだ。
メルマガ読者であり、古くからのこのブログの読者でもある方から、最近メールを頂いて、その中に、次の一文があった。
「断酒をしていると、自分を顧みたり、どういう生き方をしようか?などと考えますよね。これまで生きてきた何倍も頭をフル回転しています。」
確かに、この方のおっしゃるとおり、酒を断ってからは、我が身を顧み、生き方を考えるようになった。そして毎日ブログを綴るので、何倍も頭をフル回転させている。
酒のことも、断ってから、つくづくと、しみじみと、じっくりと、その正体について考えれば考えるほど、さて、一体全体、何でこんなものを後生大事に飲み続けたのだろう?と、不思議で仕方がないのだ。
世間ではそうなっているから、何も考えずに自分もそうする。
これが、クリスマスや飲酒に共通する、主体性のない行動ではないか。
酒とはなんだ?
大人は酒を飲むもの、飲むのが常識と、裏にいる奴(←誰だ!?)に刷り込まれているだけではないのか?
これを突き詰めて考えると、自分が酒を飲んで来た経緯と、やめた理由に納得が行くはずだ。
何となくダラダラと飲み続けているだけの人は、そもそも酒とは何だ?などと考えることもなく、一生を終わることだろう。
矢張り、断酒をして、それ以前より何倍も頭をフル回転させて、自分を顧み、これからどういう生き方をして行こうか、と考える、これが素晴らしい。
ちょうど今晩は、クリスマス・イブと言うことで、自分にとって、クリスマスとは?酒とは?を考えてみると良いかもしれない。
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