今、あなたの心の中で、酒はどんな位置づけだろうか。
もちろん、飲んでいた頃は、何を置いても先ず日に一度は飲む、大好物であったわけだが、その位置付けのまま、断酒している方もいるのではなかろうか。
自分の心の中で、酒がどんな位置づけになっているか。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年2月6日
これが、断酒のキモだと、私は考える。
私の場合、酒とは《自分の人生を破壊する毒》だ。
酒を毒と見ないなら、飲みたくもなるだろう、きっと。
でも、これ、飽くまでも私個人の話!
もっと違う考えもあるだろうね。
今日ブログでも書こう。
tweetもしたけれど、私にとっての酒は、《自分の人生を破壊する毒》である。
心の中から酒を追い出すことは出来ないが、鉛の重りをつけて、二度と浮かんで来ないように、心の奥底に沈めてある。
せっかく酒をやめたのならば、自分にとっての酒の毒性を学習し、酒が毒であることをしっかりと頭に叩き込んでほしい。
酒が毒であることは、飽くまでも自分にとってであって、他の人は全く関係がない。飲酒を問題なく楽しんでいる人もいるわけだが、そのような人たちは、自分とは別世界なのだ。
心の中での酒の位置づけが曖昧だと、ふとしたことで、酒が飲みたくなって、飲んでしまうのに抵抗がないかも知れない。
酒に憧れる気持ちが残っていては、断酒も辛い。酒が如何に自分にとって毒性の高い飲み物かが分かって来れば、寧ろ酒が怖くなり、自ずと酒から遠ざかる。
私は最初の頃、酒を嫌いになってやろうと、酒の悪口をブログに書きまくっていた。結果、酒を嫌いになって、断酒も軌道に乗ったが、今考えると、これはこれで良かったのだが、もっと手っ取り早く、酒の自分に対する毒性について、学べば良かった。
嫌うより、毒物として認識する方が、酒から離れる思考としては、強力である。
人は、毒物がコワイ。例えば、わざわざふぐの肝臓を食べるだろうか。毒キノコを食べるだろうか。食べたら死んでしまうかもしれないものを、敢えて食べることはしない。
酒とは、自分にとって一体どんな飲み物なのか。曖昧なままにしておかないで、はっきりとさせてみると、酒を断つのが楽になる。
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