今日は夕方から、かみさんとクリスマス・コンサートへ行って来た。
終わってから、お茶とお菓子で楽しい談笑の時間を過ごしている内に、帰宅が遅くなってしまった。
帰路、我が家の最寄りの駅に着いて、改札を出てからの家路で、すれ違う酔っぱらいの多さには辟易した。アルコール臭ぷんぷんで、私もかみさんも、気分が悪くなった。
大体が、数人のグループで、男性だけだったり、女性だけだったり、男女混合だったり、年齢層も若い人から中年まで色々だが、赤い顔をして、大きな声で話ながら歩いている。
どこもかしこも今の時期、忘年会なので、仕方ないが・・・
さて、話変わって、スリップについて、今日ひとつ私が思ったこと。
子供のために、仕事のために、爽やかな朝を迎えるために、二日酔いから解放されたいから、これ以上酒で失敗したくないから・・・等々の願を掛けて、酒を断つ人。
スリップした人の中には、このような考え方だった人もいるのかな、と。
断ち物・・・wikipediaより。
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断ち物(たちもの)とは、神仏に願掛けをした時に、自分の好きな食品や嗜好品もしくは薬などを絶って、禁欲により願掛けを強力にできるという民間信仰。
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断ち物、具体的には、酒、たばこ、甘いもの、コーヒー、・・・その他、自分の好きな飲食物だったり、パチンコ、競馬、なんかもあるのかな~
願が叶ったら、断っていた断ち物は、元の嗜好品に戻る場合もあれば、そのまま断ち続けることもあるそうだ。
断酒の場合の「断つ」酒だが、この「断つ」が、何かの願を掛けて断つ、断ち物のような扱いならば、断酒を継続するには、弱いのかな、と思った。
○○のために酒を断つ、は、もちろんとても良いことだが、その場合、酒は飲んでも良い飲み物、酒は自分の好きな飲み物と、との位置付けのままに、断つことになりやしないかな?
好きなまま断つケースだ。(もちろん、それでもOKだけれどね。どんな考えで断酒しようと、OKなのは、私の基本スタンスなのでね。)
○○と言う目標のために断つ酒は、○○と言う目標が達成されたら、解禁されてしまうか、目標達成の途中でも、飲みたくて飲んでしまうかもしれない。
断酒は、手段であって目的ではないと以前書いたが、それでは一体何の手段なのか?
飲酒している人生を否定し、それとは全く違うより良き人生を生きるための手段である。酒なる麻薬性の毒物飲料を飲むことそのものを拒否する人生を選ぶのだ。
つまり、自分のこれからの人生から、害になるものを除外することが、断酒なので、願掛けとは別物なのである。
結局、私の断酒方法、嫌酒戦法へと導きたかったわけなんだけどね!
だって、酒の主成分アルコールは、歴とした薬物で、人体には有害なのだから、それを好きなままでいること自体が、おかしな話。
子供の頃からの洗脳《酒は大人の飲み物》とか《大人は酒を飲むのが当たり前》とかが、そのままべったりと、脳に張り付いている場合、この下らない嘘ぱちの情報を、剥がして捨ててしまわないといけない。
酒は、毒。飲んではいけないもの。
あなたの、頭の中の、酒の常識を塗り替えよう。
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