昨日の池袋の暴走事故に関連して、Twitterでやりとりしていて、ふと思ったこと。
アル中と老人は似ているなと。
今回の事件の車の運転にしても、そうではないか。飲酒運転はダメだと言ってもアル中は運転し、危険だから運転をやめろと言っても、老人は運転をやめない。
もちろん、全てのアル中、全ての老人がそうだ、などと言う積りは毛頭なくて、人の忠告を聞かないアル中、老人も数多くいると言うことである。
老人とアル中は「否認」と「意固地」で似ています。老人は自分の老いを認めません。アル中は自分がアルコール依存症だと認めません。意固地なので、他人の忠告を聞きません。困ったものですね。でも、ごく少数ながら、老いを認める老人も、アルコール依存症を認めるアル中もいます。私たち!
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2019年4月20日
アル中も老人も、自分の病や衰えを認めず、共に意固地である。
老境に入りつつある私は、自分の病(アルコール依存症)を認め、酒を断った。自分の老いつつあることも認めている。
最近「老いては子に従え」が、とても良く分かるようになって来た。
子供が小さい頃は、この子をどう育てようか、こんな大人になってほしいな、それにしても中々親の言うことを聞かないな、とか思っていた。
子供が成長し、大人になるに連れ、
「お父さん、それは違うよ、こういうことだよ」
「考え方は他にもあるよ、それじゃ視野が狭すぎだよ、お父さん」
「人の批判は良いけど、お父さんは自分のことは棚に上げてるじゃん」
などなど・・・耳が痛いが、その通り!
飲んだくれの頃は、子供はおろか、かみさん、親兄弟、友人などの忠告など全く聞く耳持たなかったが、断酒して飲まないアル中になってから、自分の非は認めるようになった。
寧ろ、忠告の有難味が分かるようになった。
こんな年齢になってからも、自分を変えることが出来るのは断酒のお陰だなと、アルコールを断つことの素晴らしさを実感している。
飲んでいた酒を、自分の意志で断つ。
いつもの私の主張だが、飲んでいる人は、遅くとも50歳くらいで酒を断つのがよろしい。
先々老いて行くわけだが、酒と共に老いるのか、酒を遠ざけて老いるのか、これのどちらを選択するのかによって、人生が全く変わって来る。
人生の最期も、変わって来る。
さて、老人とアル中の共通点を書いて来て思ったのだが、最悪の組み合わせは、老人でかつアル中の人である。
酒を断ちたいと思いつつまだ飲んでいるなら、あなたも最悪の組み合わせ、老人でかつアル中になってしまうよ!
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