朝のウォーキングが復活し、ここ1週間毎朝歩いている。
両手にはポール、スマホにイヤホンを差してラジオを聴きながら。
(このポールウォーキングは、ただ歩くよりも、お勧め!)
今の時期、バラを中心に、他にも色とりどりの花が咲いていて、スマホで撮影しながら歩いている。
ここ1週間ほどの記事に使っている写真は全て、朝のウォーキング時に撮ったものだ。
さて、今朝歩いたコースでは、驚くほど酔っ払いの置き土産が沢山あった。
今朝のウォーキング時、いつにも増して、酔っぱらいの置き土産が多かったなぁ😱・・・昨日は日曜なのになんで??~と、思ったが、自分の過去を思い出してみたら、飲酒に曜日は無関係だった🤣
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2019年5月19日
『飲んだくれ 酔って戻して また飲んで 無意味なループ 送る人生』
酒は飲むものでなく、断つものである!
吐くなら飲むな!と、初夏の朝の雰囲気をぶち壊す光景に腹を立てつつも、一方で私の頭の中には、かつての自分が彷彿とされるのだった。
ん~、これ、昔の自分でもあるな~。
カネと時間を使い身体に入れたものを、人様に迷惑の掛かるようなところで、ガマンも出来ずに、吐き出してしまう。
その行為は、いつも道端のはずもなく、私は家のトイレにこもることも多かった。一度嘔吐の発作が起きると、治まるまでは、便器を抱え込む。今となっては思い出したくもないが、それは確かに頻繁に起きていたこと。
酒臭い人、大声で騒いでいる酔っ払い、ふらふらと千鳥足で家路を辿る人、夜遅い電車の中で寝てしまっている酔っ払い、朝の通勤電車で青い顔をしている二日酔いの人、等々を見る時、そこに自分の過去を見る。
正に、
『飲み吐きを 繰り返すアホ 過去のオレ 人の振り見て 我が振り直せ』
である。
ただ、酒を飲まないだけで良いのだ。
カネも時間も酒に使わないだけで良いのだ。
そうすることによって得られなくなるものは、アルコールによる「酔い」だけである。
つまり飲んだくれ時代は、「酔い」と「人生」を引き換えていたのだ。恐ろしいことである。酒に自分の人生を引き渡していたのだ。
今飲んだくれて、私の前に酒の弊害を晒してくれる人は、私に過去を思い出させ、今の断酒生活を確固としたものにさせてくれる、有り難い存在なのかもしれない。
それにしても、酒を飲まない生活の、爽やかなこと!
明朝も確実に起きて、歩きに行けることだろう。
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