早朝ポール・ウォーキングが心地良く、ここのところ毎朝歩いている。
今朝は、ほんの少しパラパラと雨が降っていたのだが、気になるほどでもないので、小一時間歩いた。ラジオを聴きながらなので、音楽や、その他の情報も耳から入る。
家の近くに戻って来る道にある飲み屋街。その小道に、二十歳そこそこくらいの若者が数名、たむろしていた。
どうやら一晩中どこかの店で飲み明かして来たらしい。通勤する人や、私のようなウォーキングする人を見ては、ニヤニヤ笑っている。
絡まれたらどうしようと、ヒヤヒヤしながら、足早に通過した。
この若者たちは、一晩中酒を飲み、これから家に帰って二日酔いの頭で眠るのかな。今日一日は丸潰れで、酒が抜けて動けるのは、明日の朝になるのかな。
そんなことを考えて、家に戻った。
私が見た若者たちのことを考えただけでも、彼らが酒に奪われた時間は、かなりのものである。
こんなことを書いている私が、飲んだくれ時代に酒に奪われた膨大な時間は、いったいどのくらいになるのか。
酒の飲み過ぎが原因による事故や病気で命を奪われてしまうなら、その場合、酒に人生の全ての時間をも奪われてしまったことになる。
自分の人生の残りの時間ならば、自業自得でまだ良いが、飲酒運転事故などで、他人の人生の全ての時間を奪ってしまうこともある。
幸いにして私は、酒に奪われて浪費した時間はかなりのものだが、命までは奪われなかったので、人生の途中で断酒し、いまこうして残りの貴重な時間を酒なしで生きることが出来ている。
時間は、生まれた時に与えられ、死ぬ時に取り上げられてしまう。時間は金で買うことが出来ない。
酒を飲んで酔っ払っている時間は、本来の自分の人生ではない。脳にアルコールが回っている状態では、貴重な時間が空転している。
酒のために使われる時間は、買いに行く時間、飲む時間、酔っ払っている時間、酒から醒めるまでの時間、更に、素面に戻ってからは、飲み過ぎた酒を悔いる時間がある。
酒に囚われていると、これだけの貴重な時間が、日々失われて行くのである。
酒を断てば、これらの時間は、丸々自分の手元に還って来る。
酒に貴重な時間を奪われている人は、地球上に何億人と存在する。私もかつてその内の一人だったが、今や一抜けた!
もちろん、酒に奪われるものは時間だけでなく、数えたら切りがない。
今日は、時間に焦点を当てて考えて見た。
酒を飲み続けて、これからもどんどん貴重な時間を奪われるのか、酒を断って、自分の時間を生きるのか、それを決めるのは、自分である。
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