本題に入る前に断っておくと、断酒から見て禁酒に意味が無いと論ずるのであって、禁酒そのものに意味が無いとは言わない。
さて、関西弁のCさんについて書くと、彼のことを心配して下さる心優しい読者の方からコメントが入る。
今日、たまたまCさんからLINEで連絡があった。
(先日アユ釣りを一緒にしたばかりだが・・・)
病院での定期的な肝臓の検査の日だったとのことで、本人もびっくりしたのだろう、以前より3倍も数値が悪化し、再検査したそうだ。
断酒した人は、その期間が延びる毎に、肝臓の検査値が良くなっていく人が多いが、Cさんのように野放図な飲酒を続けると、肝臓の状態が悪化するのは必定である。
Cさんは、医者に厳しく言われたようで、本人は「真剣に《禁酒》する」と言っていた。《断酒》すると言わないところが、アル中の本懐だろう。《禁酒》宣言ならば、飲みたくなったら、適当な理由を付けて《禁酒》を《解禁》し、堂々と飲めるから。
尤も、ある期間禁酒出来れば、肝臓が休まるので、また飲めるようになり、調子に乗って飲む量が増え、またまた検査値が悪化するのは、目に見えている。飲んだくれの肝臓にとって《禁酒》する行為は、悪循環を繰り返すだけである。
私が言いたい「禁酒に意味が無い」とは、そういう事だ。
禁酒は、自らの欲求に反する外部要因により、仕方なくするものと位置付け出来る。断酒は、内から沸き起こる情念によって、取り掛かるものだ。なので、禁酒と断酒とでは、全く違うのである。この辺り、混同している人が多い。
反面教師のCさんを長年観察していると、身体の健康状態の悪化により、仕方なく禁酒を試みるが、抗し難い飲酒欲求を正当化するために、何のかんのと屁理屈をこねて、結局は再飲酒し、元の木阿弥になる。大体、半年のサイクルで、そんなことを繰り返している。が、恐らく、Cさんが断酒に踏み込むことは無いと考える。
身体を壊しても酒を飲み続けるのが、真正のアル中である。己の命よりも、家族の幸せよりも、飲酒を最優先するのだ。これが、アル中の真骨頂である。恐ろしいことだ。
このようなわけで、私は、アル中の《禁酒》については全く認めない。意味が無いと断言する。アル中は、《断酒》でなければダメである。しかも、傍からやいのやいの言われて仕方なくするのではダメダメ。全く無意味である。
《断酒》は、自らの気付きによって、内から湧き起こる情念によって、自らの意志によって、始めるものである。そうでないと、意味が無いし、続かない。
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