今、『食べない、死なない、争わない(稲葉耶季 著/マキノ出版)』という本を読んでいる。
副題が、「人生はすべて思いどおりーーー伝説の元裁判官の生きる知恵」とあるが。著者は、元裁判官で、女性である。今の私には、著者の述べていることが、一々腑に落ちる。
この中で、不食のことが出て来る。何も食べないで生きている人がいるそうだ。著者の稲葉さんも4か月試みたことがあるが、今は、玄米菜食を中心にした一日一食だとのこと。
不食を信じるかどうかは別として(・・・因みに、私は信じている)、断酒にも通ずることが書いてあったので、ご紹介。
それは、世に言う《断食》が、食を断つ修行(荒行?苦行?)なのにたいして、《不食》は、身体が食物を求めないので、快適なのだそうだ。なので、断食には開始と終了があるが、《不食》には、終了がない。
これを《断酒》に当てはめて考えてみると、確かに言葉の響きからして、《断酒》は、一種の修行・荒行・苦行のような感じがする。耳に入っただけで、やりたくない!と拒否する人が多そうな・・・
酒を断つ《断酒》は、《断食》と同じく、ある意味修行(苦行?)であるが、これが《不飲酒》だと、酒を飲まない生活が快適なのである。
ここで断わっておかなければならないのは、《断食》が苦行だと思っているのは、やったことが無い人であって、実際は、快適なのだろうと言うこと。私は断食はやったことがないが、食を減らして、現在ほぼ一日一食だが、かなり身体が楽である。
酒を飲まない生活も、《断酒》から《不飲酒》へと進むと、かなり快適である。私の中では、以前も書いているけれど、《不飲酒》はたまた《忘酒》になってきている。もう、苦しくないどころか、飲まないほうが快適である。
一緒に酒を断っている皆さんも、それぞれ、断ってからの期間に応じてだが、段々と断酒が快適になって来る。《断酒》の先にある《不飲酒》へと駒が進んだ時、きっと、あ~これか!、お分かりになることだろう。
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