私は日常茶飯事の如く酔っ払って、記憶にすら残らぬ快感を、脳の中だけで味わった後、いつの間にかの眠りから覚め、酔いからも醒めてみると、いつも同じ感覚を味わった。
それは、酔う前と何も変わらぬ現実が、デーンと横たわっている、ということ。酔って何か解決していたということは、一度もない。良くて現状維持。悪い場合のほうが多かった。
飲みすぎて、吐き気だけで済めばいいが、実際に何度も吐いたり、ひどい頭痛がしたり、酒を飲んだことにより、何も変わらぬというよりも、寧ろ現実は悪化していた。ひとつ例を挙げるなら、数年前の暮れ、忘年会で大量に飲んで、なんとか家に辿り着いた私は、自宅の柱の角に左足の踵を強かぶつけ、ぱっくり割れて、年が明けても、しばらく歩くのも難儀だった。
子供の絵本に出てくるような、魔法の薬ように、それを飲むことにより何もかも良い&好ましい方向へ変わるなら、どんなに高くたって、どんなに沢山飲む必要があったって、酒を飲む。酒がそんな薬ならば、世の中の人が誰でも、のどから手が出るほどほしがることだろう。
ところが、酒は、根本的に違う。脳にアルコールが薬理的に作用して、気持ちが良くなるだけ。しかも、それは、束の間のこと。依存性があり、薬物なので、量を増やしていかないと、自分の満足する効果が得られない。
結局、アルコール依存から抜けられなくなる人は、24時間365日の酔いの世界が、現実になり、かつてのシラフで生きていた頃が、非現実となるのだ。アルコールによって己の生きていく世界が逆転してしまっていることに、全く気付かない。
酔いから醒めて、自己嫌悪に陥っている状態なら、まだ断酒出来る脈がある。想像するだに怖いのは、最早、酔いから醒めない人。つまり、酔った状態が日常であり、シラフの、酔いから醒めた状態を非日常と捉える人。こうなると、その人の人生すべてがアルコールの支配下にある。
アルコール依存症の恐ろしさを調べると、この病の末期は、もう、断酒すら意味がなく、死を以って終わりにするしかない悲惨な状態だ。それは、アルコールという悪魔に魅入られ、依存症への階段をてっぺんまで登り詰めた先にある、地獄。
少しでも自分の酒の飲み方に疑問を持ったり、酒に対する不信感を抱いたり、酒への嫌悪感が募ったなら、それを改善しようとか、飲み方やつまみを工夫してみようとか、量を控えてみようとかの、酒に対する歩み寄りを図るのは、すっぱりやめたほうが良い。それをいい機会と捕まえて、きっぱり断酒したほうが手っ取り早いし、以後の人生が明るくなる。
だが、「お酒と上手に付き合いましょう」的な表面だけ親切な言葉が、とにかく多すぎるのだ。それら御為ごかしのアドバイスは、飽くまでも、酒を飲むことが前提。何故そこまで、酒に義理立てしなけりゃならんのか。とても、不思議な世間に我々は生きている。
あなたとは何があっても一生添い遂げますと、酒と固い約束でも交わしたのかのような人が多い。(まー、私もそうだったが。。。)スパっと縁を切ればいいのに、大瓶3本だったのを1本にしようとか、日本酒3合だったのを1合にしようとか。未練たらしいこと言ってないで、やめてしまえばよろしい。
などと言うのは、昔節酒を試みて悉く失敗した私である。量を減らそうとしたこともある。飲む日を減らそうと試みたこともある。ダメだった!酒とうまく付き合うことは出来なかった!なので、縁を切った!
但し、実際のところ、酒との腐れ縁を切るということは、言うは易く行うは難し。実践に踏み切っても、持続が難しい。こちらから擦り寄れば、『あら、そう、いいわよ、またよろしくね』とか『え、うん、いいよ、また仲良くしよう』って、酒はいとも簡単に縁りを戻してくれるからねー。
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