今日で、昨年の3月15日開始以来、まるまる11ヶ月の断酒が続いた。明日からは、12ヶ月目に入る。
長かったような、短かったような。いつかも書いたけれど、私の断酒継続期間は相対的なもので、断酒を始めたばかりの人には長く、10年も20年も断酒を継続している人からは短く感じられることだろう。
私自身の時間の捉え方も、とても面白いものだ。断酒を開始してからしばらくの期間、一日中酒のことが頭から離れなかった頃、時間の経つのがとても遅く感じられた。今は、なんだか知らぬ内に時間が経つ。あっという間だ。
流れている時間の早さは同じなので、それをどう捉え、どう感じ、何を考えて一日を過ごしているか、などによって、時の経過に対する感覚が変わっただけだろう。
イヤなこと、面白くないことをしている時間は長く感ずるが、好きなことをしているとあっという間に時が過ぎる、アレだ。
同じ断酒でも、最初の頃は、イヤなことだったのだ。だから、時間が過ぎるのがとても遅く感じた。そして、今、断酒が辛くない。寧ろ、飲まないでいると、他のことが色々とできて、楽しい。だから、時間の経過を早く感じるのだろう。
この辺りまで読んできて、おいおい!勿体ぶらないで、早くタイトルにある断酒継続の秘訣を教えろよ!と思われたかも(笑)
それでは!
いよいよ!
断酒継続の秘訣は・・・
それは・・・
『断酒継続の秘訣はネ、酒を飲まないことだよ』(小声でゴメンネ)
・・・はぁ?
・・・ て、おい!ヽ(`Д´)ノプンプン
・・・ふざけるな!ヾ(*`Д´*)ノ"
と怒らないで、まあ、聞いてほしい。法的に問題ないなら、どんな手段を講じてもいいから、とにかく、日々酒を飲まない。これだけなのだ。
もうひとつ付け加えるなら、断酒への信念の強さだと思う。意志ではなく、信念、または執念と置き換えても良い。酒断ちに執念を燃やす。
私の場合は最初の頃、「この恨み晴らさで置くべきかぁっ!」というような、《信念》や《執念》よりもっと強い、一種の《怨念》のような意気込みで断酒していた。それでも、今のこの生活につながったのだから、良しとする。断酒の道も方法も、これが正しいというものは無く、人それぞれなので、工夫して、とにかく酒を飲まないという日々を積み重ねるしかない。
←昨日、外出時に見つけた。
日蓮聖人の言葉だそうだ。近頃は、何でも断酒の栄養にしているので、こういうお寺の掲示板に書いてある言葉も、とても勉強になる。
酒を飲まないことは、今は苦しい・痛いけれども、後になって見れば、今のその苦しさ・痛さというものは、断酒の薬になるんだよ。苦しくても苦しくない。痛くても痛くない、と勝手に解釈して、頭に入れた。
ところで、この日蓮聖人の言葉を調べようと、「当時は痛けれども」とだけ入れて、Yahooで検索してみたら、結果の一番目には、この言葉の解説があった。びっくりしたのは、二番目の検索結果だった。
『妻を傷つけてしまいました。 泥酔して発した暴言のせいです。 関係修復したくてず...』という、Yahoo知恵袋に投稿された、相談が出ていたのだ。内容は、読んで頂ければ分かるが、結婚して12年もうまくいっていた夫婦だったのに、旦那が泥酔して妻に吐いた暴言で、夫婦間に取り返しのつかない亀裂が生じてしまったという。しかも、この人は、普段は大して酒を飲まないのに、この時は、たまたま深酒してしまったらしい。げに恐ろしや、酒の魔力。
さて、我が家周辺は、先週に引き続き、またもや雪だ。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐに反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>