今、アルフォンス・デーケンという人の『よく生き よく笑い よき死と出会う』という本を読んでいる。6割くらいまで読んだ。
この方は、死生学という、私にとっては耳慣れない学問の泰斗であり、長らく上智大学で教鞭をとっておられた。
この書の題名が、私は好き。よく生きて、よく笑って、最期によき死と出会う!なんと素晴らしい生き方を、たったこれだけの言葉で表しているのだろうか。
生い立ちの中で、デーケンさんが、なぜ日本を目指したのか、そのきっかけについて触れている。それが、なんと、今を遡ること、400年以上前の秀吉によるキリシタン迫害の話を読んだことなのだそうだ。
京都で捕らえられた26人の熱心なクリスチャンが、耳をそぎ落とされたうえで、磔にされるために、長崎まで歩かされた。この中で最年少が、12歳のルドヴィコ茨木という少年。
長崎に着いて、哀れに思った役人が、少年に、キリスト教を捨てれば、命を助けてあげる、とそっと言うのだが、少年は、そんなことをしたら天国に行けなくなる、と断る。そして、ぼくの十字架はどれですか?と役人に聞く。あれだよと、役人は差す。少年は、そこへ行き、十字架を抱きしめたのだそうだ。他の殉教者を励ましながら、少年は十字架の上で立派な最期を遂げたそうだ。
これを読んで、たった12歳くらいでこれだけ信仰の篤い少年がいる日本という国は、一体どんなところなのか、と、デーケンさんは興味を持ち、いつの日か行ってみようと思われたそうだ。
私は、26聖人の話を知らなかったので、この部分だけでも、感動した。
それと、マックス・シェーラーという哲学者の言葉が書かれている。私は、この哲学者のことも知らなかった。この人の価値倫理学の一端をこう、説明している。
『瞬間的な価値の満足を追えば、その一瞬は刹那的な楽しさに酔いしれることが出来るかもしれませんが、短い陶酔が去った後には、結局、虚しさと自己嫌悪が残るだけではないでしょうか。』
これ、大酒を飲んでいる時と、醒めたときのことだ。正に。価値倫理学って、凄いな。どんな学問なのか、学んでみたくなった。
もうひとつ、マックス・シェーラーの唱える大切なテーマ。それは、『悔恨と再生』なのだそうだ。これは、過去の過ちを、どのように解釈すべきかについての貴重な示唆であると。
『悔恨という行為により、人間は過去の生活の悪質な部分を切り捨てて、有意義なものに作り変えていくことができる。罪を悔いて、道徳的にも精神的にも生まれ変われるというのです。』
私も、昔の飲んだくれ・深酒・泥酔時代を悔恨し、切り捨て、今、生まれ変わった気持ちで生活しているので、この文章は、とてもよく分かった。
まだまだ、良いことが沢山書かれている本なので、最後まで読んだら、もう一度記事にしてみたい。
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