午前中、Twitterの断酒仲間とのやりとりをしていて、たまたま朝のジョギングが気持ちよかったので、「早起きは三文の得」だけど、断酒はいくらの得なのかなー、と考えた。
語呂合わせで、「酒断ちは三億の得」かな、と。
《酒断ちは三億の得》面白いので、今日のタイトルに使ってみた。
三億には特に意味はなく、三文というお金の単位は今は使わないし、語呂合わせで、三万でも良かったのだけれど、酒やめたらひと月で三万は得するよなー…いくらにしようかな、三兆じゃ多すぎだな、三億なら届きそうで届かないし、おもしろいな、と、それで、三億円。
Twitterの返信にも書いたのだが、今まで飲んで酔っ払って、酒に費やしていたお金と時間を、自分がやりたいこと、やりたかったことに使えば、お金には換えることの出来ない、もっと素晴らしいものが、きっと手に入ると思うのだ。
三億というのは、ただの語呂合わせ。カネに換算出来ないものが得となるのだから。以前も書いたけれど、全部プライスレスだ。
私は、何が手に入ったかな。
早朝の自分だけの時間。
スロージョギングの習慣。
家族との時間。
夕食後の自分の時間。
快適な睡眠。
胃腸のトラブルが全然なく、健康。
飲まないのだから、酒で失敗することは絶対にないという安心感。
やめたのだから、付き合いでムリに飲むことが無くなったという、安堵。
貴重な一日が二日酔いで潰れない。
まだあるかも知れないけれど、以上、札束をどんなに積んでも買えないものばかりだ。そう、そもそも、私の断酒・不飲酒の習慣も、何億円、何兆円とカネがあっても、買うことは出来ないし、売ることも出来ない。仮に有り余るカネがあったとしても、酒をやめていなければ、カネか命のどちらかが尽きるまで飲み続けたことだろう。
海外からのニュースにもよくあるが、カネを有り余るほど持っている有名な人が、アルコール依存症で入院したりしている。どんなに医学が進歩しようとも、1億円払うから、オレのアルコール依存症を治してくれ、という訳には行かないってことだ。
そもそも、アルコールにどっぷり浸かってしまう人は、カネでは手に入らないものに飢えているのかも知れない。愛、喜び、楽しみ、慈しみ、笑顔、健康、若さ、成功、名誉、まだまだあるけれど、山のように札束を積んでも、誰も売ってくれないし、そもそもどこにも売ってはいない。
だからといって、酒を飲んでみたところで、それらは手に入らない。酒は、束の間の現実からの逃避に役立つだけだ。
逆に《酒飲みは○○の得》というのがあるとして、一体《○○》の中には、何が入るのかなー。損したり、失ったりするものは簡単に想像出来るが、何か現実に得するモノ・コトってあるのだろうか…。
「得するために飲んでるんじゃねーよ!」って答えが聞こえてくる(笑)
私も、飲んでいた頃は、ただ好きで飲んでいただけだ。
飲むもやめるも、本人次第。ここが一番のポイントだ。周囲の人がいくらヤキモキしても、本人が選ぶことなのだ。
さて、問題飲酒を自覚した人の道は、二つだ。
《酒断ちは三億の得》または《過飲酒は一生の損》どっちへ行くかな~
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