『花の命は短くて苦しきことのみ多かりき』
この短文は、どこかで聞いたことがある、読んだことがある、という方が多いだろう。
ネットで検索すると、説明として、
《林芙美子が色紙などに好んで書いた短詩。女性を花にたとえ、楽しい若い時代は短く、苦しいときが多かったみずからの半生をうたったもの。》
と出ている。
作家の林芙美子と言えば、自伝的小説『放浪記』で有名だ。私は原作を読んでないが、1962年東宝の高峰秀子主演の映画は、観た。
映画の紹介が本意ではないので、感想は省くが、ひとつだけ。。。ふみ子が住んでいる部屋の隣人として加東大介演じる安岡という真面目な印刷工が出てくる。彼はふみ子に気があるのだが、全然相手にされない。生活が安定しているとはいえ、安岡は、見た目も性格も、ふみ子の好みではなかったようだ。ふみ子は、優男たち(伊達;仲谷昇、福地;宝田明)に惹かれているのだった。この辺り、男女の間、はたまた人間世界は、うまく行かないものだと思った。
さて、私のアレンジした、飲酒の短詩。
( (゚-゚;)ヾ(-_-;) オイオイ... 《花》が《酒》になっただけだろ!どこがアレンジなんだよ!)
『酒の命は短くて苦しきことのみ多かりき』
《のみすけが、林芙美子が好んで書いた短詩から借用。飲んだくれを酒にたとえ、楽しく酔える時代は短く、依存で苦しいときが多かったみずからの半生をうたったもの。》
私には、楽しく酔えた時代があったのだろうか。思い返すと、酒を飲み始めた、ほんの初期の頃、酒とはどんなものか分からず、警戒しつつ飲んでいた数年間だけが、そうだったと思う。
酒に慣れてくるとともに、酒への警戒も解けてしまった。その頃から、酒での失敗が少しずつ増えてきた。更に、飲めば飲むほど酔って行くのが分かっているのに、歯止めがきかず、大量に飲むようになった。
酒をやめようと思っている、または、断酒を実行されている皆さんはどうだろうか。
飲酒期間で言えば、数年間は楽しかったかもしれないが、その後の期間は「苦しきことのみ多かりき」ではないだろうか。飲酒時間で言えば、最初の数時間、エタノールが全身を駆け巡り、脳に達し、楽しく酩酊している時間は短く、その後酔いから醒める苦痛の時間のほうが長いのではないだろうか。
飲んで酔っ払っている時の時間を1とすると、それが原因で苦しむ時間が3~5くらいの比率だった。たぶん。
酔っている時間(Y):苦しむ時間(K)
Y:K
1:3
1:4
1:5
右の数字が大きいという事は、左の1が示す、飲んで酔っ払っている時の、飲酒量が多く、時間も長いということだ。
飲酒で何を得ようとしていたのだろう。酒に何を期待していたのだろう。それらは満たされたのだろうか。この辺りを考えると、汗顔の至りというやつで、なんの弁解も出来ない。
酔って楽しいのは、ほんの一瞬であり、やめられなくなってしまった酒が原因の、その後の苦しい時間・期間のほうが、べら棒に長い。これが、実体験から学んだことである。
いやはや、何とも長い期間、恐ろしい飲み物に取り憑かれていたものだ。くわばら、くわばら!
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