アラフィフのおっさんでも、心境の変化と言うのは、ある。
ちょっと前まで、私は、飲んだくれていた昔を、嫌いだった。その時期の自分を好きではなかった。記憶から消し去りたかった。
それが、段々と、一年半以上かけて考え方が変わったのか、今ではあの頃の自分があってこその、今の自分なのだ、という事に気付いた。
酒を浴びるほど飲んできた過去、それは変えることは出来ない。数々の失態も、無かったことには出来ない。そのことを後悔しても先に立たないし、何の役にも立たない。
そんな中で、ひとつ、得た大事なものがある。それは、(酒を断ってから1年と7か月ほど経った)今の心境。人の目にも私の目にも見えないが、いつも感じる、この心模様。これは、元々酒を飲まない人には分からないし、味わえないものだろうなあ、と。
飲んで段々と酔いが進行し、ついには泥酔。ひと晩過ぎて、翌朝の、最悪な体調と心理。こんなことの繰り返し。それとは全く対照的な今の生活。朝から晩まで変わらぬ良好な体調と、平穏な心。
こんな風に考えると、断酒した人は、過去の問題飲酒だって、己れの肥やしになっているのだ。(かなり強がりが入っている...かな・・・(笑))
ものは考えようである。自分のマイナスだった過去をどう捉え、消化して、栄養にするか、というところかもしれない。使い方ひとつで、強固な人生の土台にすらなる。
当ブログにコメントを下さる断酒の強者(ツワモノ)!?はたまた猛者(モサ)!?の方々の、その書かれている内容を見ると、私も最近そうなのだが、それぞれの個人の過去の問題飲酒は、良い意味で十分に消化され血肉になり、今の私たちを支えているようだ。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
飲む量も、期間も、大量に長期に、では、上記の諺のとおり、良いことなどひとつもないが、それを、これからの生活の為の土台に変える方法が一つだけある。それは、酒を断つことである。
昔、浪越徳治郎と言う指圧の大家が、
「指圧の心は母ごころ、おせば生命の泉湧く」との有名な言葉を流行らせておられたが、これをもらって、
「断酒の心は初心(はつごころ)、断てば生命の泉湧く」なんて感じで行きましょうかね(笑)
はつごころ、つまり、「初心忘るベからず」と言う事である。
私は、酒を断とうと決断した日のことを絶対に忘れない。これまでも、ふらふらと欲望に負けそうになった時に、いつもあの日のことを思い出しては踏み止まって来た。今はもう、ふらふらとする事はない。
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