昼過ぎ、かみさんと二つ隣の駅まで電車に乗り、色んな店が入っているビルで、買い物をした。
そこを出るとき、手動で開閉する重めのドアを押して、私が先に、すぐ後からかみさんを通そうとしていたら...
何を急いでいるのか、六十歳くらいのおっさんが、無言で私に身体をぶつけながら、先に出て行った。ポケットに両手を突っ込んで、がに股歩きで、かつ、もの凄いレベルのアルコール臭を残して...
昼間から相当量の酒を飲んでいたようだ。それにしても、何と傍若無人なことだろうか。重いドアを手で押して開けたのは私であり、かみさんを通そうとしていたのに、両手をポケットに突っ込んで、酔っ払いは指一本使わずに、店から出て行った。
私:「うわ!何だよ、あいつ」
妻:「くっさぁ」
私:「相当飲んでるね、あの酔っ払い」
妻:「何を急いでるのかな」
私:「頭に来るけど、酔っ払いだから、何言っても意味ないもんな」
妻:「そのとおり!」
酔っていなくても、視野の狭い人はいるけれど、アルコールで頭をやられると、普段は柔和で慎重な人でも、視野狭窄になることが多い。
視覚だけではなく、考えていることも、口から出る言葉も、態度も、全て、酒によって劣化し、人を傷つけたり、自分を傷つけたりする。
やっぱり、酒など飲まないに越したことはないと、今日つくづく感じた。そして、今日行ったある店に飾ってあった砂時計を見て、こんなことを思った。
山になったサラサラの砂。ひっくり返して置いてみる。胴の真ん中の、くびれた細いところを通って、砂はサラサラと落ちていく。
人生を見ているようでもあるが、私は、これが、一生分の酒の量をデフォルメしているのだと思った。私に許された生涯分の酒は、既に落ちてしまったのだ。残っていないのだ。
もう、残っていないから悲しいのではなくて、もう残っていないから、嬉しいのだ。何故ならば、もうあのろくでもない液体を飲まなくて済むのだから。
これを敢えてまたひっくり返して、飲み始めてしまうと、もはや害悪としての働きしかしない。酒の砂が落ちきる前に、命の砂が尽きてしまうかもしれない。
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