少し過激なタイトルかも知れない。
梅雨入り前の、初夏。あっちでもこっちでも、プシュッ!とプルタブを開ける音がする。
プルタブと言えば、今日、痛い足を引き摺りながら、外出したが、朝の駅前で1人、昼頃の街中で1人、まだ日中の駅のホームで1人、それぞれ缶酎ハイを片手の老人を見かけた。(何故私の足が痛いかは、昨日(2016/6/1)の記事を読んで頂きたい。)
共通点は、視線定まらず、赤ら顔で、歯が無いのか、モグモグ口を動かしている。酒ばっかり飲んでいると、歯も悪くなり、歯周病で抜けてしまうのだろう、きっと。酔っ払いが毎日念入りに歯磨きをするとは思えないし。
老人が手に持つアルコールの缶飲料が目に飛び込んで来た時、私は思わず目を背けた。もはや、私にとっては、アルコール飲料は忌まわしい。
もちろん、アルコール飲料は、私にとってだけ忌まわしいのであり、好きで飲んでいる人は、欲しいだけ、思う存分、どうぞそのままご自由に。この文章を読む人は、自分の飲酒の問題を分かっている人だと言う前提で書いている。たまに、酒を愛する人が酔っ払った勢いで憤慨してコメントを入れて来ることがあるので、一応書いておく。
さて、「抹殺」とは、その存在を認めず、無視すること、消し去ること、葬り去ることである。私は、かなり長い歳月をかけて、自分の心の中で酒を抹殺した。
いつも書いているけれど、酒のやめ方も人それぞれなので、酒を愛したまま断っている方も、いるはず。ただ、私にはそれは出来ず、徹底的に心の中から排除した次第。
どんなやり方でも良いが、先ずは酒を飲まずに過ごす日々を自分のものにすることだ。但し、断酒はより良い生活への手段であって、決して目的ではない。断酒を目的にしてしまうと、それが達成された時に、やることが無くなってしまうし、そもそも断酒が目的と言うのもおかしな話である。
『我が心 酒抹殺し 清々し いつも素面の 日々の暮らしよ』
(わがこころ さけまっさつし すがすがし いつもしらふの ひびのくらしよ)
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