酒をやめてhappyになろう!

31年間飲んできた酒をついにやめる日が来ました。でも、「断酒」はつらいよ。。。さて、いつまで続くか、続けられるか。はっきり言って、自信なし!《飲酒コントロール不能な「のみすけ」が書いてます。適正飲酒の方、酒を愛飲されている方は、当ブログをスルー(無視)して下さい》[コメント気まぐれ返信中m(_"_)m]

断酒・断酒・断酒!!

断酒とは生きることとみつけたり(断酒3年81日目)

 葉隠れの、

「武士道とは死ぬこととみつけたり」

は、あまりにも有名な言葉。

 どういう意味か、ここでは敢えて書かないが、ネットで検索すれば、色んな方の解説が見つかる。

 

 タイトルの、

「断酒とは生きることとみつけたり」

とは、酒断ちの真の姿である。ここでは、私の考えを述べよう。

 

 長年飲んでいる内に、いつのまにか酒に飲まれている自分にハタと気付き、このまま飲み続けるのは良くないと感ずる。

 

 そこで、今の飲み方、つまり飲酒の頻度と量がいけないのであれば、休肝日を設け、かつ、量も減らせば、ずっと酒と付き合っていけそうな予感・・・が、そうは問屋が卸さない。

 

 何故ならば、元々そんな飲み方が出来る人は、端からそうしているのであって、そう出来ない人が、そうしようとしても、出来るわけがないのである(笑)のんべーは、ここのところに中々気付かずに、無駄な努力を試みるのだ。

 

 酒を飲むと酔う。ほろ酔い程度なら、まだ素の自分だろうが、それを越えて酩酊の領域に入ると、もはや正体を失う。酔態を演じ、醜態を晒し、悪態をつく自分は、一体誰なのだろうか。

 

 私にも経験があるが、泥酔状態のときの自分の言動は、一切覚えていない。醒めて二日酔いで苦しむ頃、つまり翌日の昼間、前夜のことを一緒に飲んでいた人や、家族に聞いてみると、全く穴があったら入りたいほどの、生き恥を晒していたのである。

 

 酒を飲んで酔っ払っている時間は、自分の人生を生きているとは、とても言えない。自分の人生をしっかりと生きたい。

 

 だから、

「断酒とは生きることとみつけたり」

なのである。

 

 ここでの生きること、とは、自分の人生を主体的に生きること。

 

 酒を断つ真の動機は、自分の人生をきちんと生きたいからである。飲み続けていたのでは、酒に支配された人生で終わってしまう。

 

 たった一度の貴重な人生を、アルコールと共に生きるのか、アルコールと訣別して生きるのか、選ぶのは自分。

 

 

 

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