コメントを下さった、ブラックスーザンさんの4月5日(2017)のブログを読んで、断酒のきっかけについて考えさせられた。
ブラックスーザンさんは、断酒してブログを書いている人たちの、壮絶な飲酒歴と底着き体験及び断酒への決意と、自分のそれとを比較して、次のように書いていらっしゃる。
====================
それに比べて私は
依存の程度も断酒のキッカケも
ハッキリ言って生半可。
====================
私は、次のようなコメントを入れた。
====================
生半可でいいんですよ。むしろ、生半可のほうがいいかも。何故ならば、壮絶な底付き体験まで行って生還する人は少ないからです。
まだ、脳も身体もしっかりしている生半可なうちに、酒をやめなければと気付いた自分を信じましょう!
====================
生半可とは、未熟であり、不十分であり、中途半端と言う意味だ。
ここで、昨年までの私なら、
「但し、断酒には、生半可な気持ちで臨んではならない」
などと、書いただろうが、今は全くそうは思わない。
生半可な気持ちでも、断酒しようと思うなら、したほうが良いに決まっているからだし、その前に、誰だって、始める時は、断酒への心構えは生半可なのだから。断酒を継続して行く内に、段々と決意が固まって来るのではないだろうか。私はそうだった。
断酒の方法が人それぞれでありながら、行為は《酒を断つ》だけなのと同じように、断酒に至るきっかけも人それぞれでありながら、共通するのは、本人の《気付き》だ。
その《気付き》とは、「もう、酒をやめないと・・・」である。
もう、酒をやめなければ、と気付いた自分の直感を信じること。それが、唯一で、かつ、一番の断酒のきっかけであり、確固とした断酒へのスタートラインだ。
誰かに言われて酒を断ったとしても、長続きしない。自らの問題を認めているわけではないからでる。断酒に限らず、何にしろ、他人から強制されたことなど、渋々始めたとしても、継続するわけがないのである。
自分で自分の問題飲酒を認めることこそ、一番大事なことなのだ。
いつも書いているけれど、酒なんぞ最初から飲まないほうがいいに決まっているし、もし飲酒の習慣が身に付いてしまって、これまでに一度でも酔っぱらってやらかして反省したことがあるなら、即、断酒したほうが良いのだ。
しかも、断酒は、若ければ若いほど良い。酒を断った時点から、酒による問題からは離れることが出来るからである。酒に無駄な時間とお金と労力を奪われることがなくなるからである。
私が酒を断ったのが五十歳を過ぎてからなので、もっと若い世代の、四十代、三十代、二十代の方の断酒を、心から応援し、励ましたいのだ!
迷っていないで、生半可な内に、酒を断とう!
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)