飲まないアル中には、とても良く見える。
飲んでいる人にこれから訪れる酒害が、手に取るように予測出来る。大量に酒を飲んでいる人を見ているだけで、背筋が寒くなる。
酒を飲まないアル中の視点は、その人がどのステージにいるのかによって変わる。酒をやめてからの期間によって、ざっくりとだが、次のように変わって行く。
やめたアル中←断酒直後。
飲みたくてたまらないアル中←しばらくは・・・。
飲みたいアル中←数か月もすると・・・。
飲めないアル中←半年くらい経つと、これに気付く。
飲まないアル中←断酒して大よそ1年が過ぎれば、毅然として、飲まない。
飲んでいる人を見た場合のそれぞれの視点。
やめたアル中→辛すぎるから、見ない!
飲みたくてたまらないアル中→わ!わ!わ!ひたすらうらやましい!
飲みたいアル中→いいなあ・・・
飲めないアル中→もう、あの世界には戻れないんだ・・・
飲まないアル中→あんなに飲んで、気の毒に・・・
飲まないアル中の視点は、ある意味、シニカルなのかもしれない。日本語で表現するなら、冷笑的と言うか。ここまで来れば、自分が酒を飲む事には、かなりの心理的抵抗があるはずだ。
当たり前に酒を飲んでいる人を見ると、その先にある酒害による人生の落とし穴や、取り返しの付かない罠が待ち構えていることが分かるのだ。ついつい自分のことに当てはめて、肝を冷やす。これが、飲んでいる人が自分にとっては反面教師として映る所以である。
一度アル中になったら、飲んでも飲まなくても、一生アル中であることには変わりがないなら、飲まないアル中として過ごすことが、どれだけ幸せなことか。このことが分かれば、自分が飲まないアル中であることに誇りを持つことが出来る。
酒を断ってから間もないあなたも、1年経てば、この、飲まないアル中の視点を手に入れることが出来る。飲まないアル中の視点で世の中の飲酒事情を見ると、その全てがバカバカしく、如何に商業主義に毒されているかが分かる。
酒そのものと飲酒行為については、シニカルに冷笑的に見てやるのが、よろしい。さすれば、ますます自分が当たり前に酒を飲まないことに自信が持てるだろう。
これからの季節、巷ではしつこいくらいに炭酸系のアルコール飲料を勧めるCMやポスターが目に入る。飲まないアル中の視点からすると、その裏にある酒害は全く棚に上げ、《シュワシュワした爽やかな飲み物》の側面のみ強調しているのが良く分かる。見ても、決して飲みたいなどとは思わない。寧ろ、酒害が浮かぶ。
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