今日書きたいことは、昨日の、《酒がないのが当たり前》に関連する。
5・7・5で簡潔に表してみる。
『断酒とは 良き人生の 手段なり』
断酒は目的ではなく、より良い人生を送るための、数ある手段の内のひとつに過ぎない。
これ、あまりにも断酒に夢中になっていると、ついつい勘違いしたまま日々を送ってしまうことがあるので、注意が必要だ。
このことは、当初から私も分かっていて、断酒初年度の夏に書いた記事でも触れている。
2013/8/27
『ダンシュはシュダン(断酒166日目)』
断酒は手段に過ぎないことを認識せずに、断酒そのものを目的にしてしまうと、歯車の狂ったギクシャクとした人生になってしまう。少し表現がヘンだが、今まで酒に頼っていたのが、今度は断酒に頼るようになるかもしれない。
自分の人生の妨げになっていた、酒と言う名の障害物を取り除いて、歩きやすくしたこと、それが断酒である。酒の他にも、人生の障害物はまだあるだろう。それらを取り去ることは、手段に過ぎない。
別の表現をすれば、断酒は、より良く生きるための《踏み台》に過ぎない。《踏み台》だからこそ、しっかり踏み固めて、揺らがないようにしておかなければならぬ。
人生、一難去ってまた一難。次から次へと苦難の道を歩まねばならないわけだ。
私の場合、そんな辛い日々を、誰よりも身近に手軽に癒してくれたのだ酒だったことがあるのは確かだ。困ったことに、癒しだけなら良いが、飲酒には恐るべき副次効果が潜んでおり、それは、自分や他人を殺傷することさえあるのだ。
それでも、断酒に慣れない内、特に初年度は、断酒が生活の目的になってしまっても仕方ない。一日一日踏み固めて行くと、断酒が手段に過ぎないことを実感する日がきっと来るからである。
今の私には、断酒は、日々のスロージョギングやポールウォーキングをしているのと同じ、生活を快適にするための手段のひとつである。
酒を断った人は皆さん、飲んだくれ時代には考えられなかったくらいに行動的になる。酔っぱらっていたら出来ないことが、素面では出来る。次から次へとやりたいことが、自然と湧き起こる。
酒の無い人生。これが、本当の人生だ!
このことが分かると、酒がないのが当たり前の生活になっている。すると、断酒は良き人生を送るための手段に過ぎないことも理解出来る。
改めて「手段」を辞書で引いてみると、ある目的を達成するために、その途上で使う方法、手立て、と書いてある。断酒とは、より良い人生を送る目的を達成するために、その途上で使い続ける手段である。
断酒とは、より良い人生の為の、なんとまあ、すばらしい手段であることか!
今晩のskypeミーティングでも、断酒は手段であることを実感した。参加者の皆さんが、断酒と言う手段によって、日々楽しい生活を送っていることがありありと伝わって来た。
参加者の方の趣味のシュノーケリングの話も飛び出したりして、断酒生活を謳歌している仲間との会話は、断酒の糧になるだけでなく、生活の刺激にもなる。
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