放っておくと、飲酒は加速する。
坂道をどこまでも、スピードを上げながら転がり落ちて行くその様は、かつての自分であった。
それは丸で、一度天辺から動き出したら、下りしかないジェットコースターのようなものだろう。周り(家族)は悲鳴を上げているのに、アル中本人は気付かず楽しんでいる。
加速した飲酒が止まるのは、二つ。酒を断つ。死ぬ。
病気で飲めなくなる、が抜けているだろう・・・と思われたかもしれないが、アル中は、病気でも飲むのだ。
私が断酒を開始した頃から読んでいるブログで、以前もここに書いたことがあるけれど、重度のアル中の旦那さんを介護しながら、ずっとブログ更新を続けている女性がいらっしゃる。この方のブログからは、私は多くのことを学んだ。
アル中本人ではなくて、回復しようとしまいと、それを見守らざるを得ない家族の立場は、そうなってみなければ何も分かりはしないのだ。
晩酌程度だった飲酒が、いつの間にか生活の主役になってしまうのが、飲酒の加速である。これは、気を付けようがないのだ。一日単位での変化は少なく、ある程度の期間を経て、ふと気付けば立派なアル中の仲間入りだ。
私の飲酒も、問題に気付くまで31年掛かっている。この期間の長さは、異様かもしれない。途中で自分の飲酒の問題に何故気付かなかったのだろうか。この辺り、今思い返しても、分からない。
当ブログを読んで下さっている方々も、きっと、気付くのが遅すぎたと感じていることだろう。何でこんなに早く気付いたんだ!ラッキー!と思われた方も中にはいらっしゃるだろう。その方は、本当にラッキーである。
飲酒に勢いが付いて加速し、その内に暴走してしまえば、それを止めるのには膨大なエネルギーを必要とする。気付くのが早ければ早いほど、飲酒の暴走を止めることが容易になることは、論を待たない。
飲酒がどんなに速度を増しても、本人の気付きがあれば、止めることは可能だ。断酒のたったひとつの条件は、本人が気付いて、心底やめたいと願うことだから。これさえあれば、何度か失敗しても、必ず酒を断つことが出来る。
逆に、周囲の人間がやきもきするだけで、本人に何の自覚も無いならば、飲酒は加速するだけである。その内に、きっと、アルコールを入れる身体に異常を来たすが、それでも加速を続ける飲酒は、止まらない。
本人の気付きがないならば、先に書いた、加速した飲酒が止まる条件の内の、後者である、《死》のみが、暴走した飲酒を止めることが出来る。もはやそこに飲んでいた本人は存在しなくなる。
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