毎日能天気に飲酒にいそしむ飲んだくれは、自分だけは、アル中ではない、自分はただの酒好きだと思い込んでいる。
酒による大きなトラブルがなかったことについても、これまで大丈夫だったのだから、これからも大丈夫さ!くらいにしか考えていない。
本当は、酒を飲んで酔うことは、いつだって崖っぷちなのだ。数センチ足を踏み外すと、一気に落ちてしまう。
酒を断った人で、今、普通に生活出来ているならば、それは、たまたま運が良かっただけであることを、よくよく噛みしめることだ。
かつて、崖っぷちをタイトルに、ブログ記事を書いた。
2015/6/5
『実はいつも崖っぷちなのだ(断酒2年83日目)』
2年前のこの記事では、今日の内容とは違い、断酒生活そのものが崖っぷちであることについて書いている。この頃読んでいたブログで、何年も断酒が続いていた人がSLIPしたことに衝撃を受けて、自分の戒めとして書いたようだ。
飲んだくれに於いては、ほろ酔いであろうと、それは崖っぷちである。何故ならば、微酔は、泥酔への入り口であるから。酒をひと口でも飲んだら、それで既に崖っぷちへの階段を一段上がったことになる。
ひと口、一段、またひと口、二段・・・もう、崖っぷちだ。
先日、ブログにも取り上げたが、泥酔して横断歩道の上で寝ていた人が、車にひき逃げされて重傷を負っているのに、気付かなかった件・・・とか、他にも、何年か前に、深酒をして線路に寝ていた人が、列車の車輪で片足を切断しているのに、朝まで気付かなかった件とか。
これらはもう、崖っぷちの崖から、落ちかけている。命があったからまだ救われるとしても、己の命を守るどころか、傍から見れば平然と、敢えて自分を危険に晒しているのだ。こんな馬鹿げたことは、酔っ払い以外では、薬物中毒者くらいしか考えられない。
自分が飲んでいた頃を思い出してみると、何度も危ない場面があったけれど、たまたま運良く、ほんの僅かな差で、切り抜けてきたようだ。何しろ、泥酔すると、自分をコントロール出来なくなるのだから、何が起こっても不思議ではない。
家飲みならば、大丈夫だろうって?
酔っ払うと、家でも危険である。己の身体を傷つけることはないとしても(あるけれど!後述する!)、家族の心を傷つけているかもしれない。スマホやパソコンで、友人を傷つけているかもしれない。
インターネットが普及する前は、リアルタイムに連絡を取るには、相手と電話で話すことしか出来なかったが、今や、メールやLINEなどで意思の疎通が図れる。酔っ払って書き送った文章が、大失態となる可能性が大いにある。そして、音は録音されない限りその場限りだが、文字は残る。
それだけではない。株式やFXの取引も今やスマホで出来るが、酔っ払って発注して、大損害を被った人を知っている。
まだある。
私の知り合いの酔っ払いの話だが、外でかなり飲み、帰宅して家でも飲み、真夜中、腹が空いたので、ラーメンでも食べよう思い立った。野菜を入れたほうが健康的だろうと、キャベツをザクザク刻んでいたら、自分の指まで刻んでしまい、辛うじて皮一枚でつながった状態に悲鳴を上げ、救急車を呼んだそうだ。
飲酒はいつも崖っぷちなのである。
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