「酒を飲むと死ぬ。しかし、酒を飲まなくとも死ぬ。」
イギリスのどこかのパブの看板に書いてあるそうだ。
確かに、言われてみればその通り。人間の致死率は100%だ。
これまでに死ななかった人間はいない。
このパブの看板の言いたいところは、酒を飲んでも飲まなくてもどうせ死ぬなら、酒を飲もうよ、かな。
「イギリス」「パブ」で思い出したのは、以前記事にも書いたことがある、過剰な飲酒で35歳にして老人のようになってしまった女性だ。
2014/3/19
『アルコール依存症の恐るべき末期(断酒1年5日目)』
「死」ではなくて「生」に焦点を当てて考えて見れば、
「酒を飲むと生きづらい。しかし、酒を飲まなくとも生きづらい。」
同じ生きづらいならば、酒を飲んだほうがいいのだろうか。
いやいや、とんでもない。飲酒に問題を抱える人間は、酒を飲むと更に生きづらさが増すのだ。
もちろん、全ての人がそうだ、などとは言わない。が、日本だけで考えても、ハイリスクな飲酒者は1000万人くらいもいるそうなので(←アル法ネットより)、毎日酒を飲む人の内、かなりの人が当てはまる。
逆に、問題飲酒者にとって、
「酒をやめると生き生きする。しかし、酒をやめなくとも生き生きする。」
と言うことは、ない。
酒をやめたほうが、生活は楽になる。
私のみすけが以前から提唱している、簡易アル中判定法の、平気の平佐で丸3日間酒を飲まずに過ごせるかどうか。
3日間くらい、酒を飲まなくても何ともない、と言う人は、そもそも断酒に縁は無く、アル中でもない(はずだ)。
この、3日間だが、私のみすけの場合、断酒後の3日間は、生き地獄だった。冷や汗だかあぶら汗だか分らぬが、全身に吹き出して、心臓の鼓動は激しくなり、酒が身体から抜けるのを嫌がっているような、妙な感覚を味わった。
この3日間を思い出すと、冒頭の、
「酒を飲むと死ぬ。しかし、酒を飲まなくとも死ぬ。」
について、残りの人生をより良く生きたいなら、「死」ではなく、今まさに呼吸して生きている「生」に焦点を当てるべきだと、強く思う。
酒に酔うと、自分が自分ではなくなる。
酔っている自分は、自分ではない。
自分が自分として生きられる時間は限られている。
ならば、その貴重な時間を、酒に酔ってなどいられるだろうか。
与えられた人生を、素面でしっかりと生き抜くことが大事ではないか。
自分がこうして今生きているのは、実は奇跡なのである。
与えられた有限の時間を、酔っ払うことに使うのは、バカバカしい。
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