昨日の記事に、多くの方からご意見を頂いた。
コメント下さった方々の真摯な内容のアドバイスは、メールを下さった方へ確かに届いた。(その方が、皆様への感謝のメールを下さった。)
その後も私は考えたのだが、ふと今日のタイトルを思いついた時、過去記事を検索してみたら、昨年の8月1日に、既に今回の件についての私なりの答えを書いていた。
2017/8/1
『飲めば死ぬ 断つことのみが 生きる道(断酒4年140日目)』
症状の軽い・重いはあるにせよ、アルコール依存症は、飲み続ければ、死ぬ病だ。その死因は、病気の場合と、酩酊による事故の場合とある。
もし、付き合い酒の効用によって、今までよりも収入がUPしたとする。けれど、それは一時的なものに終わってしまうことが考えられる。
何故ならば、再飲酒を決めた本人が飲酒をコントロール出来ないからである。恐らく、暫くの期間はある程度セーブして飲むとしても、いつの間にか、かつて断酒を決意するに至った時と同じ状態に陥るだろう。
『飲めば死ぬ 断つことのみが 生きる道』
飲めば死ぬなんて、極端過ぎると思われるかもしれない。
この、拍動する心臓が止まる、肉体的な死の前に、酒浸りになることにより、精神的な死が訪れる。
一度は酒を断ったことにより取り戻した、人間的な生活が、再度の飲酒によって失われてしまう可能性がかなり高い。
自分が、止むを得ない事情で再飲酒した場合をシミュレーションしてみた。
酒を何年も断っているからと言って、ブレーキの壊れて、アクセルだけしか付いていないアル中であることはそのまま何も変わっていない。
せっかくガソリン(アルコール)の供給を断って、暴走する車が動かないようにしていたのに、また入れてしまうと、どうなることか、分かっている。
自分だけ飲んでいれば良いものを、関わる人も飲まなければ、輪に入れてくれないなんて、なんとまあ、おかしな世界もあったものだと、つくづく思う。
Twitterでも、このことをtweetしたら、ある方がこんなRTを下さった。
まさにそういう業界で営業職をしています。そういう業界だからこそ、私は声を大にして、社内に「私はアルコール依存症です」プレゼンをしまくります。#アルコール依存症
— 天真任莫妄想 (@8ZYrA2k21DgF4c7) 2018年5月23日
おはようごさいます。基本的には引かれます。仕事では宴席に呼び辛くなり距離ができます。でも確実に断酒できます。世間の「アル中」のイメージに差別的なニュアンスが含まれていて、病気のを知らない人はまず理解できません。何らかの形でアルコール依存症に接したことのある人は、理解してくれます。
— 天真任莫妄想 (@8ZYrA2k21DgF4c7) 2018年5月23日
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