日々、断酒について思ったこと、考えたことを書くと、いつも誰かしら、断酒仲間のコメントが入る。
断酒のことだけを毎日書き続ける、断酒の金太郎飴ブログを標榜しているので、読んで下さる人は主に、断酒している人か、断酒したい人。
ブログに集う断酒仲間は、老若男女様々ではあるけれど、かつて酒を飲んで酔っ払っていた過去を持つことは同じである。
酒を断っているから、二六時中シラフであることは当たり前と言えば当たり前。なのでもちろん、みなさん入れて下さるコメントは、文章がしっかりしているし、知識も豊富である。
みなさん、シラフ博士である。
だが、かつては、ヨイドレ氏であったことも確か。
4年前に、こんな記事を書いた。
飲んだくれていた頃は、ヨイドレ氏でいる時間の方が長かった。その頃は、シラフの時でさえ、酒を飲むことを考えてワクワクしていたくらいだから。
同じ人間なのに、酒を飲むか飲まないかによって、全く中身が違う。
同じ人間なのに、身体の中に二人いる。シラフ博士とヨイドレ氏だ。
私の中にも、今でも二人いる。酒を断っているので、シラフ博士だけが活動しているけれど、ヨイドレ氏は、あるきっかけによって、すぐに息を吹き返す。あるきっかけとは、飲酒である。
ヨイドレとは酔いどれ、飲んだくれ、酔っぱらい、酔漢。
決して戻りたくはないキャラクターである。他の人が、いとも簡単にヨイドレ氏に変身するのを見るだけで、鳥肌が立つ。かつての自分を思い出すから。
ヨイドレに出来ることは、酔っぱらうことだけ。酔っ払って出来ることなら、何でもできるが、ただ、それらは、列挙するだけで空しい。酔っぱらいに出来ることって、何一つまともなことがないからである。
逆に、シラフ博士ならば、その人の能力を最大限に引き出して、あらゆることが出来る。
酒を断ってさえいれば、シラフなので、まともなことを大いに出来る。誰からも後ろ指指されることもない。
あの、変身薬アルコール入りの魔の液体《酒》に、かつてやられっぱなしだったからこそ、もう二度と騙されてはいけない。飲めば必ずヨイドレ氏が出て来て、悪さをする。
今日も寝る前に、シラフ博士の頭で、文章を考え、書き、推敲し、こうして断酒の金太郎飴ブログをUPすることが出来た。
酔っ払うことに、何の意味があるのか、あったのか。これをつくづく考えると、悪魔の液体《酒》に引きずり回されていた昔が、バカバカしくも儚く、切ない。
残りの人生を、全く酒などの入る余地のない、シラフのままで送ることが出来ることに感謝し、更にもっと多くの断酒仲間と出会いたいと願う。
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