酒を飲むと説教魔になる人が 一定数存在する。
私の知人にもいる。飲んでいる内にくどくなり、しつこくなり、自説を絶対に曲げず、説教を繰り返す人。
もともと、説教とは、宗教の教えを説くことだが、転じて、教え導くために言い聞かせること、の意味になっている。
実は今日、ニュースでこんな記事を見つけて、唖然とした。tweetもしたので、既に読んで下さった方もいらっしゃることだろう。
この中に、父親が酒を飲んで帰って来ては、母と子に説教をしたり、手を上げたりしていた、と書いてある。
本来、こんな父親こそ、ちゃんと生きるように説教されなければならない。つまり、説教する側ではなく、される側の人間なのだ。
説教されなきゃならんやつに、説教されるなんて、全く以って本末転倒も甚だしい。バカバカしいにも程がある。
私の知人の、飲んで説教するアホも、酒を飲めば飲むほど、下らないこと、些細なことに自説を展開し、それをこちらが否定したり、別の考え方をぶつけられたりすると、顔を真っ赤にして、説教する。
考えて見ると、酒を飲んで酔っ払い、脳がアルコールでイカレテしまった人間が、素面の人を目の前にして、説教するなんて、ナンセンス以外の何物でもない。
先のニュース記事の青年は、母親が亡くなって、父親との二人だけの生活になった時、我慢できなくなって、家を飛び出して独り暮らしを始めた。
大正解だ。こんな飲んだくれおやじは、捨ててしまって良い。面倒を見ていると、共倒れになってしまう。
このようなケースの場合、アル中おやじは、子を頼り、自分の酒のためなら、どんなことをしても、カネをせびるはずだ。そして、人のカネで飲んで酔っ払っておいて、自分のためにカネを出してくれた人に説教をする。
幸いにして、私は飲んで説教魔になることは無かった。ただ、家族にしつこく絡んではいたようだが・・・
酔って説教するアホなやつは、相手にしなくて良い。放っておくのが良い。が、それが自分の夫や親だった場合、そうも行かず、話を聞く振りをしなければならない人もいるのだろう。
気の毒である。酔っ払いの話なんて、全く意味不明で、脈絡も無く、聞いたところで時間の無駄だから。
酔って説教するアホは、会社の上司にも一定数いるようだ。
やだねぇ~!
いい年こいたおやじが酔っ払って、人生の先輩ヅラして、若い人にこんこんと何やら話す光景は、ゾッとして背筋が寒くなる。
たかが数十年余計に生きただけではないか。
同じ説教をするなら、酔ってではなく素面でやってみたらどうか。
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