今日は、関西弁のCさんが断酒erとして、登場!
え!あの飲んだくれのCさんが!断酒erだって!?
ウソでしょう。。。
いや、それが、本当なのだ。
Cさんについては、今年の2月の終わりごろ、こんな記事を書いた。
この記事の最後は、こう締めくくっている。
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さて、Cさんは今後、(断酒ではなく)禁酒するのだろうか。
暫く、見守ってみようと思う。
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Cさんを糖尿病と診断した医者は、Cさんにこう言ったそうだ。
「お酒をやめる必要はありませんよ。でも、飲み過ぎはいけません。ほどほどにね。」
Cさん、当初は医者の言葉を、大事な御守り、はたまた金科玉条のように、大事にして、酒を適量飲み続ける積りでいたようだ。
それが、糖尿病のことを深く学んで行く内に、自分の酒の飲み方では、身体に負担がかかり過ぎて、病が悪化して行くことが分かったようだ。適量で済ます飲み方は出来ないので、禁酒ではなくて断酒すると言っており、現に今は飲んでいない。
もうひとつ、Cさんを断酒に踏み切らせたことがあって、それは、自宅の購入である。かなりな額のローンを組むので、返済のことを考えると、健康でいなければならないし、酒に金を浪費していられない。
こうして、Cさんが断酒の仲間に加わったのは、素晴らしいし、喜ばしいし、嬉しい。
だが、私にはひとつ気がかりなことがある。
それは、Cさんの心の中での酒の位置付けだ。
Cさんは酒を好きなままだし、酒の正体を見破ってはいない。
ここから書くのは、飽くまでも私の断酒に対する考え方なので、そうではないと思った方は、それはそれでそれも正しいので、自論を大切にして頂きたい。
私は、断酒するなら《酒=アルコール=毒物=薬物》であること、これが酒の正体であることをとことん理解することが、断酒を継続する秘訣だと考えている。
当初は、酒を嫌いになるために努力したのだが、そうではなくて、酒を好きとか嫌いのレベルはまだまだ初期である。酒は毒なので、嫌うのではなく、そもそも身体に入れてはいけない物質なのだ。
酒の正体を見破ると、自分の心の中での酒の位置付けが、好物の飲料から、毒薬へと変わるのである。
Cさんの心の中では、酒は好ましい飲料のままだ。酒を飲まないのは、病気の悪化を防ぎ健康でいたいから。それと、ローン返済のため、酒代を浮かすため。
どうだろうか。心の中の酒の位置付けが、これでは弱いと私は思うのだが。
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