楽しかった長野小旅行も、今日が最終日。
午前中は、善光寺へ詣でて、参道にある、七味唐辛子で有名な「根元 八幡屋礒五郎」で、オリジナルブレンドの特製七味を調合してもらった。
どんなオリジナルかって?
私の好みで、ガーリックと柚子を足してもらったのだ。
これが、うどんやら、その他七味の出番の時に、なかなかイケルのだ。
それと、小樽では有名なコーヒー店「可否茶館」の、唯一の北海道外の豆類の販売店が、なんと長野東急の地下にあるのをたまたま見つけ、生豆を買った。
小樽の「可否茶館」は、3年前の札幌オフ会で小樽に宿泊した時、モーニングを食べに入って、そのコーヒーのうまさに感動した。
それで今年の2月に札幌へ旅行した時に、「可否茶館」目当てにまた小樽へと足を延ばし、再訪したのだった。
我が故郷に小樽のお気に入りの「可否茶館」が、と不思議な縁を感じた。
さて、昼過ぎ、私たちの乗車した新幹線あさま号が、長野駅のホームを離れてから、1時間半ほどで、もう東京だ。
私の若い頃は、在来線の特急あさま号が走っていて、碓氷峠を超えるのに、機関車を連結したりして、風情があった。東京ー長野間は、今の2倍の3時間はたっぷりと掛かっていた。
と、旅行の話はこれぐらいにしておいて・・・
今日は、元飲んだくれ現断酒仲間のある方とLINEをしていて、お互い昔飲んでくれていて、酒を断ったからこそ、出会えたし、楽しい今があるんだねぇー、と、そんなやり取りをした。
酒を断つと、それまで気付きもしなかった扉や、全く無関係と思っていた扉、更に大いなる可能性の扉が、次々と出現し、開く。
その扉は、人との出会いだったり、新しい仕事だったり、スポーツや趣味だったり、素敵なパートナーの出現だったり、実に多種多様である。
一方、酒を飲み続けていると、可能性の扉は次々と閉じられ、開いているのは、アル中の扉だけになる。アル中の扉は、飲んだくれを吸い寄せるブラックホールに例えられる。
酒を飲み続けることにより、自分の前に開いている扉が、アル中の扉だけだと言う現実に気付いた人は、愕然とすることだろう。気付かない人が99%だと思うが。
アル中の扉には、夢も希望も可能性も無く、ただひたすら、暗闇へと堕ちて行くだけだ。アル中ブラックホール。
せっかく自分の周囲にある沢山の扉なのだ。飲んだくれてそれらを閉ざしてしまうのは、人生の大いなる損失である。
さあ、酒を断って、アル中の扉は締めて、厳重に何重にも鍵を掛け、二度と入ることのないようにしよう。
素面のその目で自分の周りを見渡して見よう。
実に多くの可能性の扉があるではないか。
酒なんぞと縁を切れば、いくらでも好きな扉を開けることが出来る。
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