毎朝5時くらいに、ポールウォーキングに出かけている。
昔、ジョギングをしていた頃は、コースをいくつか作り、このコースだと何kmとか意識していたものだが、最近は、適当に家の周囲を歩き回るだけだ。
スマホのアプリでNHKの「マイ朝ラジオ」を聴きながら、歩き、6時には、帰って来る。
ところで、我が家の周囲には、飲み屋街があり、週末ともなると、真夜中までヨッパライの喧噪がやかましい。
さて、今朝のこと。
家のすぐ近くの飲み屋の入り口の階段に、人形のようにもたれかかり、青い顔をしているおっさんがいた。私より10歳くらい若いかな?
近くには、吐いた跡があり、手ぶらだ。装いはカジュアルで、サラリーマン風ではない。割と小奇麗な感じ。
一目で分かるのは、昨夜遅くまでしこたま飲んで、朝方、飲み屋を追い出されたのか、とにかく、酷い二日酔いで動けないみたいだ。
酒からは完全に離脱出来たと嘯く私に、こうして、断酒の神様は過去の私の亡霊を見せて、気を引き締めさせて下さるのだろう、きっと。
過去に何度もここにへたり込んでいる人と同じ経験をしている私。
背格好が自分に似ているので、一瞬、過去の私の亡霊が見えたような気がした。
昨夜、楽しく飲み始めた記憶のみ鮮明にあり、おぼろげながら、何軒かハシゴしたような記憶もあるが、どこでどんな酒をどれだけ飲んだなどさっぱり分からないのだ。
さて、どうしたものかと考える冷静な自分も半分くらいいるのだが、ただただ、酷い二日酔いで気分が悪く、それどころではないのだ。
過去の飲んだくれ時代の自分の亡霊を見て、私はつくづく、断酒以来6年4か月、アルコールの害に晒されなかったことを、非常なる喜びとする。
酒を飲み過ぎて、このようになってしまう人は自業自得だと、世の中の常識人は言うけれど、飲んだくれにしてみると、とても酷である。
何故ならば、酒をコントロールして飲むことが出来ず、こうなってしまうのは、病気だからだ。多くの人は気付いていないが、医者に診断されなくても、アルコール依存症であることは間違いないのだ。
酒なんぞに人生を支配され、酒なんぞに家族や仕事を奪われ、あまつさえ命までも縮めていることに、多くの飲んだくれは気付いていない。
過去の私の亡霊は、街を歩けば必ず出現し、私に警告を発してくれる。
「今、酒なんぞに全く興味が失せて、酒なし生活を謳歌しているようだが、お前は単に飲まないアル中に過ぎないのだぞ!」
私は答える。
「そんなことは、百も承知だ!だからこそ、これからも飲まないアル中を続けるだけだぜ!」
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