私にとってのコペルニクス的転回、はたまたパラダイム転換が人生で二つ。
物事に対する見方や考え方が、それまでとは正反対になることを、コペルニクス的転回と表現する。
それは何れも、私には、断酒後に起きた。
ひとつは、酒に対する見方が180度変わったこと。
断酒前は、無くてはならないものの代表で、好物中の好物であり、これを飲みながらなら死んでも良いとさえ思っていた。
断酒後は、酒に騙されていたことの無念と、酒の正体が麻薬性の薬物アルコールに過ぎないものであることを腹の底から理解した。
もうひとつは、妻に対する見方が180度変わったこと。
断酒前は、体質とは言え、妻は酒が飲めなくてとても気の毒だ。人生の楽しみのうち半分は失っていると常に思っていた。
断酒後は、妻はなんとまあ素晴らしい人生を歩んでいることか。生まれてからこの方、酒を全く必要としないなんて!羨ましい!
この二つに共通していることは、酒も妻も、私が断酒する前と後では、本質は全く変わらず、ずっと同じであることだ。
何が変わったのか?
私が変わったのだ。
私の心の中で、酒と妻への考え方の、不可逆反応が起きたのである。これは、もう決して元へとは戻らない。
私が再び酒を好きになり、飲みながら死んでも良いと考えるようになったり、酒を飲めない妻に対して、人生の半分を損しているなどと思うようになったりすることは、決して無い。
たぶん、酒を断ってから、私と同じように、酒と人とに対して、捉え方のコペルニクス的転回を体験した人もいらっしゃることだろう。
禅で言うところの、悟りに近い境地かもしれない。私は禅の悟りを経験していないので、例えが正確ではないけれども。
同じ断ったものでも、タバコに関しては、ここまでの感慨は無い。そもそもタバコには酒ほどの楽しみは感じておらず、ただニコチンが切れてイライラするのがイヤで、喫煙していただけだった。
従って、タバコを吸わない人を見て、人生の半分損しているなどと思うどころか、吸わないでいられることがうらやましかっただけだ。
こう考えて見ると、タバコに比べても、酒のほうが遥かに悪の権化であることが分かる。
世の中には、この魔性の薬物飲料=酒に騙されて、飲み続けずにはおられない、ジャンキーな人が、日本だけでも1000万人以上いる。
どうか多くの飲んだくれが断酒して、私が体験した、酒と飲まない人に対する見方のコペルニクス的転回を、自分のものにしてほしいなと、切に願う。
酒は、飲み物ではなくて、薬物である。このことを、これからも訴え続ける。
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