祝(!?)断酒50日目! 勝手に、お祝い。
酒から解放されて、フリーになると、心も身体も軽くなる。タバコをやめた時もそうだった。
(と言っても、高だか50日くらいの断酒では、酒をやめたことにも酒から解放されたことにもならない。断酒は一生もの。酒に関しては、自分自身を疑い続ける方針に変わりはない)
先日のreko様のコメントにハッとさせられたのは、
『そんなに意志も強くないし、それを貫かなければいけない犯罪とか、義務とか背負ってるわけじゃないし』
という文章。
本当に、一人で断酒を始めて、継続するというのは、かなりの困難を伴う。飲酒したとしても、大人ならお店で普通に買えるものを飲んだだけ。どこが悪いの?てことになるし。
目の前にY字路があり、標識がある。左は飲まないコース。右は飲むコース。どちらを進んでも、OK。さて、どっちへ行こうか。誰かが教えてくれるわけでもなく、自分で選ぶしかない。
タバコのY字路は、「吸わない」方を選択。
酒のY字路は、「飲まない」方を選択。
喫煙してもいいんだけれど、吸わない。
飲酒してもいいんだけれど、飲まない。
これ、かなりキツイ。両方同時に挑んでいる方はいるのだろうか。
タバコも酒も自動販売機にコインを入れれば気軽に買える時代に、その横を颯爽と通り過ぎる自分。タバコも酒も視界に入らない。これを無意識にやりたい。これが理想。
ところが現実は・・・
タバコは視界に入らないどころか、他人が喫煙してても、臭くてたまらないのだが、酒は、ドドーーンと、目玉に飛び込み、脳内のかつての快感を思い出させる。酒は、まだまだ自分には刺激的な存在。
そんな中、先日、断酒の師匠のかみさんとスーパーへ行ったとき、陳列棚に並べられている様々の酒の横を二人で通り過ぎた。私の目は、色んな酒を見て、キョロキョロ。(←脳内ではヨダレが出ている!)ところが、かみさんは、まっすぐ前を見て、スタスタ。
私:「飲まない貴女の目には、これらの酒はどう映ってるの?」
妻:「んー。どうって。棚に並べられてる飾りかなー」
私:「え、飾り?って?」
妻:「だからさ、飾り。飾りは食べられないよ。見るだけ」
飾り! とな。
なるほど。生来酒に無縁な人には、そう映っているわけか。
私には、かつての記憶から、未だに垂涎ものなのだが。
同じものを見て、こうも受け取り方が違うとは!
生まれつき酒を飲まないかみさんと、大酒のみだったが、飲まない人生を選択した自分と、やっと同じ道を歩む。先日も書いたけれど、子供にもおやじの酒癖が遺伝している可能性が高い(50%!?)ので、今から、酒の怖さをことあるごとに伝えている。
「酒は飲んでも飲まれるな」は、巷間よく言われているが、これは、酒をコントロールできる人のため。君達の父親バージョンは、(また下らない語呂合わせで失礼!)
「酒は飲まなきゃ飲まれない」
へんなフレーズだが、自分達の父親を見て理解してくれ。身体に入れなければ、アルコールは悪さをしないぞ。君達は、最初から「飲まない人生」を選んで歩んでくれ。
因みに、今晩も、かみさんはママさんたちの飲み会に行く。
飲んでいたおやじが全然飲み会に行かず、飲まないかみさんの方が飲み会に行くって、何だか、おかしいなあ。
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