まさか、自分が酒なしの生活に慣れる日が来るとは、断酒を始めた頃は露ほども思わなかった。その頃の自分には、酒なし生活など、全くの未知の領域。
実のところ、酒が大好きだったので、飲み過ぎによる問題さえなければ、もちろんそのまま、一生飲み続けたい、というのが、本音だった。
しかし、酒にはアルコールという化学物質が入っているので、清涼飲料水のようなわけには行かず、それはかなわぬ夢。飲酒によって人生そのものに様々の障害が生じ、断酒しか手段が無くなったわけである。
今、もう一冊、なだ先生の本を読んでいる。これ、読み終えたら、また読書感想文の形で、記事にしようと思っているが、その内容から、ちょっとだけ書きたいことがある…それは、昔で言うアルコール中毒、今のアルコール依存症の発生と変遷について。
そもそも、産業革命によって、モノの大量生産が始まる前には、中毒になるほどの量のアルコール飲料を、安定して生産することは出来なかった。なので、一般大衆はおろか、為政者でさえも、今のようなアルコール依存症になるほど継続的に大量の酒を飲むことが出来なかったという。
それが、世界史で学ぶように、都市化と工業化が進み、農村から都市への働き手の移動が始まると、酒の生産量も消費量も増え、今のようなアルコール依存症者が出現することになったのだそうだ。
酒というものが手作りの頃、それは、冠婚葬祭の絡む儀式でしか飲むことが出来なかったわけで、その頃の人に言わせれば、アルコール依存症は、驚くほどの贅沢病なのだ。
なーるほど。科学技術が発達し、ボタンを押せば、冷暖房できる、ご飯が炊きあがる、皿も洗ってくれる、洗濯も乾燥まで出来る、風呂も沸く。はたまた、今や、自動車も自動運転が話題になっているくらいだもの、現代は凄いな。
ただ、皮肉なことに、こんな便利な時代に生きていても、酒ひとつコントロール出来ないんだよね、自分は(泣)。
ここで、なだ先生の本に戻るが、結局、では、断酒したい人はどうすればいいのかというと、酒を飲まないことを訓練し、それに慣れるしかないのだそうだ。何度も書くけれども、アルコール依存症の治療は出来ない。よって、治癒もないのだ。
なだ先生が繰り返し強調されているのは、意志を強くすることなど出来ないのだから、今日一日飲まない、これを繰り返すしかないということ。私なりにそれを敷衍してみると、もっと単位を小さく、飲まない今、この一瞬を、つなげていくと、一時間になり、半日になり、一日になり、一週間になり、一ヶ月になる…ということだと思う。
何週間先、何ヶ月先、何年先なんて考えず、朝起きたら、今日一日だけ、酒は飲まないぞ、と。
通院しつつ、断酒会に通うとか、AAに参加するとか、どんな手段を取ろうとも、とにかく、不飲酒生活に慣れるしかないということだ。酒を飲まない日を、積み重ね、その期間を長くしていくだけだ。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐに反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>