世の中の人を、飲酒で分類するならば、《飲まない人》と《飲む人》の二通り。
先ず《飲まない人》だが、これも二つに分けられる。《酒が飲めるけど飲まない人》と、《酒が飲めない体質の人》。
その中の《酒が飲めるけど飲まない人》は、更に二つに分かれて、《酒が嫌いな人》《酒を止めざるを得ない人》のどちらか。《酒を止めざるを得ない人》は、厳密には更に別れ、問題飲酒により断酒の道しかない人と、適正飲酒出来るのだがドクターストップにより止めている人がいる。
最初の《飲まない人》と《飲む人》に戻って、次は、《飲む人》を、矢張り分けてみると、二通りだ。これは、単純だが、奥が深い。どちらかにしか入らないのだから。
《適正飲酒出来る人》《適正飲酒出来ない人》
(※読者の優しくない名無しさんのご指摘により、漏れが判明。《飲む人》の中には、ドクターストップがかかっているにも関わらず、飲む人もいる)
これらを図にすると、こんな感じ。あなたは、どこに位置しているだろうか。
私のかみさんは体質的に飲めない人。少しでも口にすると、心臓がドキドキして、顔も赤くなり、すぐに気持ちが悪くなるので、飲まないし、酒などうまいとも思わないそうだ。
私は、酒が飲めるし、うまいと思う。上図で言うと、飲む人→適正飲酒出来ない人に位置していたが、今は、飲まない→飲めるけど飲まない→止めざるを得ない人に移動した。
問題なのは、私のように、酒が飲めるのだけれど、適正量でやめられない人。
私は、これまで色々書いてきたのだが、断酒に必要な考え方が、最近やっと分かってきた。それを、極簡単に表現するならば、今日のブログタイトルである。
goo辞書によれば…
明らめる・・・事情や理由を明らかにする。はっきりさせる。
諦める・・・・もう希望や見込みがないと思ってやめる。断念する。
自分が適正飲酒出来ない部類の人間だという事情や理由を明らかにし、得心したならば、それを全て丸ごと無条件で受け入れて、飲酒に関しては、もう希望や見込みがないと思って、やめる。断念する。すっぱりと未練を捨てるのだ。
酒に対する諦観を持つこと。これが大事だと、自分にも言い聞かせている。因みに、この『諦観』も、とっても良い意味だ。goo辞書によれば…
諦観・・・
1.本質をはっきりと見きわめること。諦視。
2. あきらめ、悟って超然とすること。
『諦観』の二つの意味に、断酒の神髄が示されている。酒の本質をはっきりと見きわめたならば、酒をあきらめ、飲んではならぬことを悟って超然とする。
『諦観』どうだろうか。
以前、赤ちゃんの【卒乳・断乳・離乳】について書いた記事と重なるが、この『諦観』でもって、赤ちゃんにも出来るのだから、大人の我々は、【卒酒・断酒・離酒】をする。赤ちゃんなら、離乳食。大人は、酒以外の飲み物。
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もう、街角は、正月を迎える準備が整いつつある。
都内某所の、門松。
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