昨夜の老紳士の事が頭から離れず、今日も、書いてみる。
ただ、このテーマは、以前書いた記憶がある。たぶん、内容は重なる。
{調べたら、2013年5月8日「積極的に飲まない!(断酒55日目)」で書いていた}
ポイント切り替えとは、鉄道を利用している方なら、自分が載っている電車の真下で、毎日黙々とその仕事をこなしている装置だ。あの1両あたり3~40トンもある車両が走る線路を切り替える。
昨夜の老紳士は、白髪も身なりもパリっとしていて清潔で、見た目は、昼間から飲んで街を彷徨っているアルコール依存症の同世代の人とは一線を画していた。
普段飲まない酒を、たまたま飲んだだけかもしれない。たぶん、そうだと思う。
ただ、アルコール依存云々に関係なく、適正飲酒出来ていようといまいと、人生のどこかで、飲む、から、飲まない、へのポイント切り替えをしておけば良かったのになー、と思っただけ。
へんな話、そんな人はいないだろうが、「オレは、酔って気分が悪いのを楽しんでいるんだ!やめろなんて、余計なお世話だ!」って言われたら、それでお終いだし。
例えば、定年まで殆ど酒を飲まなかった人が、会社人生が終わり、行く所もやることも無くなると、朝から酒浸りになることが多いという。これにしても、どこかで、飲まない路線へ切り替えておけば、少なくとも酒という選択は無かったのではないだろうか。
もちろん、人間だから、飲まない路線へ切り替えて、順調に走行していた人が、何かのきっかけで、再び飲む路線へポイント切り替えしてしまうこともあるだろう。
人生は、その人のものなので、各人が選んだ線路を走れば、それで良い。私のようにしこたま酒を飲んできた人に、飲まない路線へポイント切り替えしたほうがいいかもー、と、お勧めしているに過ぎない。
私の尊敬している、天台宗の大僧正で作家の今東光大和尚がこんなことを言っている。
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「正しい人生」とか「何とかの人生」なんてものはないよ。本人にとっての人生しかないんでね。自分にとっての人生しかないんだ。おめえが十八なら、「十八の人生」というものしかないよ。それしか、オレは言いようがないね。(中略)だから、自分にとっての人生で、自分が、これが正しいと思って闘って、勝つか負けるか、これだけだよ、人生なんて。(集英社文庫《毒舌身の上相談》より)
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ご存知の方もいらっしゃるだろう。もう、和尚が遷化されてから、今年の9月で37年にもなる。ちょうど私が高校生の頃、週刊プレイ―ボーイという雑誌で、歯に衣着せぬ毒舌で、人生相談をやっておられたのだ。今でも、その頃買った「極道辻説法」「続~」「最期の~」を三冊持っている。
(因みに、今東光大和尚は、生来の下戸で、酒は飲まない人だった)
そんなわけで、Aさんの人生を私が生きることは出来ないし、私の人生をBさんが生きることは出来ないっていうのは、当たり前。なので、自分の人生、どうぞご自由に、お好きなようにってこと。
私は、二度と元の飲む路線に戻りたくない。ずっとこのまま飲まない路線を走る積もり。なので、常にアルコールには目を光らせて、最期の時をシラフで迎えようと思っている。
しかし、あちこちに、飲酒への切り替えポイントが点在している。うっかりしていると、飲酒路線に戻ってしまう。このところに気をつけるのが、ポイントだ!
行き先を決めるのも、前方を見据えるのも、方向を決めるのも、すべて自分だ。
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