最近やっと、酒の無い生活が当たり前になってきた感がある。
家にある唯一の酒は、料理の時の味付けに使う2リットルの紙パックの日本酒だが、一度買うと優に3ヶ月以上は持つ。殆ど外食をしない我が家では、日本酒は調味料として大活躍している。
(ここで、我が家の炊飯の秘訣を。。。ご飯を炊くときに、日本酒をちょっと入れている。これ、炊きあがりのご飯がうまくなる)
やはり、酒との距離を置いて、自然体で生活出来るまでには、一年近くかかるようだな。こうした穏やかな日を送るようになって、断酒前の毎日飲まずにはいられなかった飲酒地獄の頃の自分を思い返すと、単に『自縄自縛』に陥っていただけだったような気がする。
縄は、酒だ。酒という縄で自分を縛り、自ら動けなくなっていた。
酒の『自縄自縛』という陥穽に落ちた原因は、飲み始めたら止められない酒を飲み続けた自分の『自業自得』であった。ここから更に私の造語『自酒自滅』へと進む。意味は自ら望んで飲んだ酒で、自滅するということ。
やっと断酒一年が見えてきた今日このごろ、私の酒に対するスタンスは、断酒に苦しんでいた時期とは、違ってきている。あの頃は、酒そのものに憎しみを感じ、恨んでいた。当時のブログを読み返しても、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというやつで、酒造メーカーに当たり、販売店に当たり、憤懣やるかたないといった感じだった。
今現在の私は、酒に対しては、否定も肯定もしていない。ニュートラル。世の中に、アルコールという薬品を含んだ酒という飲み物がある。大人なら、誰でも買えるし、飲んでいいことになっている。これが、私の生きている世の中だ。現状をそのまま受け入れる。
その上で、ここからが、最近気づいたこと。(当たり前の話なので、自分でも拍子抜けしているが。。。)
世の中に、二種類の人間がいる。酒を飲んでいい人と、飲まないほうがいい人。更にその中を分けると、飲んでいい人の中に、飲む人と、嫌いだから飲まない人がいるし、飲まないほうがいい人の中に、飲まない人と、好きで(?)飲んでいる人がいるわけだ。(以前、酒飲み分類図を作って載せたな~)
ここで、私の考える意味合い的には、飲んでいい人というのは、体質的に飲める人で、かつ適正飲酒出来る人。飲まないほうがいい人というのは、体質的に飲めない人、適正飲酒出来ない人、病気その他の理由でドクターストップの人。
私は、飲まないほうがいいのに、飲んでいた人間だ。
なだいなだ先生が、食物アレルギーの例えで、説明されていた。正に、アレだ。例えば卵を食べるとアレルギーになる人は、卵を食べなければ良い。酒を飲むと問題がある人は、酒を飲まなければ良い。
考え方はとてもシンプルだが、一度ハマったアルコールの罠から抜け出すのは至難の業であることも確かだ。
道は険しいが、『自縄自縛』の縄である酒で全身を縛っている状態から、己を解放するには、身体中に纏わりつき己を縛り付けている酒の縄を切り、捨てるしかない。そして、酒の縄が二度と身体に纏わりつかないようにするしかない。
『自酒自滅』へ至る道は、とても広く、簡単に通行出来る。酒を好きなだけ飲み続ければ、誰でも到達出来る。その反対の『自主自律』『自主自立』への道は、狭く、険しいが、通り抜けることが出来れば、その先には酒からの自由という、広大無辺な広場が待っている。
但し、酒からの自由という場所へ行くことが出来ても、いつだって、自分の自由意志で、元の飲酒生活に戻ることが出来てしまうのも、現実なのだ。全て、自分次第ということ。
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ここで話題を変えて、最近のニュースから、とても気になったことを。。。
みなさんご存知の事件だと思うが、2012年12月に、愛知県で42歳の男が、友人の子息(小4)を、90℃の熱湯風呂に落として死亡させてしまったという件。この男は、この時、酒に酔っていたということだ。どの程度の酔い方だったかは分からないが、たぶん、悪気はなく、ふざけ半分面白半分にやったことが、酩酊状態の為に、このような結果になってしまったのだろうと思う。
時に、酒は、平穏な日常に忍び込んで、人生を破壊することがある。
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