私の住んでいるのは、集合住宅。俗にいうマンション。
午後、外出のため、先ず息子が玄関のドアを開け、通路へ。
「うわっ! くっせぇーーー!」
靴を履き終えた私も、続く。
「わっ! ほんとだ!! くっせーーーわ!」
あたり一面、臭い煙草の煙が漂い、一瞬息を止める。
恐らく、上階か隣のホタル属の住人が、家族に臭いとか言われ、台所の換気扇の下で、何本も立て続けに喫煙しているのだろう。
季節によっては、休日の昼間や、平日の夜、ベランダに出ると、強烈な煙草臭が漂うことも多々ある。この場合は、同じく、家の中で喫煙すると臭いと文句を言われるから、ベランダに出てスパスパしているのだろう。
そこまでして、吸いたいのか。。。吸いたいのだ。昔、ヘビースモーカーだった私には分かる。でも、自分の家の中がクリーンでも、他人に大迷惑をかけているわけであるから、そこは考えてほしいものだ。私は、ただ、煙草の場合は、この煙の問題さえなければ、酒ほどの害は無いと考えている。
でも、本当は、酒も、煙草も、どこかで思い切ることが一番なのになー。
思い切るとは、あきらめる、断念する、という意味と、もう一つ、決心するとか、覚悟するという意味がある。
喫煙、飲酒をあきらめ、断念し、やめることを決心し、覚悟したらどうか、な~んて、自分がやめたものだから、思ってしまう。
まー、喫煙にしても飲酒しても、先ず、自分が、断つことを、決めるわけだ。とにかく、そこから始まる。誰かに命令されたから、というのは、無意味だし、続くわけがない。
などと、ブログで吠えてみても、煙草を好きな人は止めないし、酒を好きな人も止めないのは、分かっているけれど。これらは、市販されている《嗜好品》の中で、依存症の両横綱だしね。
断酒ブログなので、酒についてだけ書くと、やめたいなら、思い切ってやめるしかないし、そうでないなら、飲み続けることになるだけだ。
昨日も書いたが、思い切ると、プツっと、そこで飲酒の習慣が切れて、翌日から全く違う日々が始まる。飲まない日々は、苦しいし、辛い。いつも身体に当たり前に取り入れていたものを断つということが、のたうち回りたいほどの苦痛になるのだ、ということを実感する。
それが、薬物を断つ、ということなのだ。それまでの日常そのものが、薬物中毒であり、薬物依存症であったことを認めるしかない。
四の五の屁理屈を並べて、結局は飲酒を続けることを選ぶのも人生だし、一度思い切った自分を信じて、苦しみの中で、新たな楽しみを掴み取るのも、人生だ。半年、一年、と経つ内に、どちらの生き方が自分にとって良かったのか、分かってくる。
御託を並べて飲み続けた一年と、歯を食い縛って飲まなかった一年。
私は、後者だった。今では、歯を食い縛る必要がない。軽く運動した後の、水がうまい。敢えて飲み屋には行かないが、どうしても出なければならない飲み会の席で、隣の人がうまそうに生ビールを飲んでいても、私はコーラで平気な顔をしていられるようになった。
もう、酒は飲まないぞ、と思い切ったなら、覚悟を決めて、やってみよう!
三ヶ月後、半年後、そして一年後、確実に変わっているはず。
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午前中、野菜を買いに、自転車を走らせた。
ソメイヨシノはまだ三分咲き。でも、枝垂れ桜は、満開だった!
真ん中の、背が高いのは、枝垂れ滝桜という。福島の三春から移植されたものだそうだ。珍しい。
春が来たカモ!?
レンギョウも満開!
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