今日、何度か怒り心頭の場面に遭遇した。たぶん、以前の私なら、今頃その怒りを肴に(!?)酒を飲んでいる。
でも、怒らないという点で、昨年から少し進化というか前進した。うまいことやり過ごすことが出来たのだ。
すぐにイライラすること・すぐに怒ること・すぐに怒鳴ること
これらを鎮めるのに、一番手っ取り早いのが、かつての私には飲酒だった。つまり、自分の欠点がそのまま飲酒行動につながっていたわけだが。
これを矯正しないと、また再飲酒のきっかけになるからと、『怒らない練習』というものを昨年始めてみた。下記が昨年8月28日のブログの抜粋。
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怒らない練習(断酒167日目)
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そこで、最近、怒らない練習を始めた。まだ、2週間くらいだが、3回の内、1回は怒らない練習の成果が出ているかな。
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この頃は、3回の内1回は怒らなかったようだが、今や、3回の内2回は怒らないかな。3回の内3回怒らないっていうのは、まだ練習というか修行が足りない。
無駄に怒らないと、良いこと尽くめなことは確かだ。大体、相手の態度や言動と言うものは、他意がないことが殆どである。それを、勝手にこちらが取り違えて、怒りの種にしていることが多い。
怒らない練習の成果・・・かみさんや子どもとの衝突が、かなり減った。怒りの多かった頃は、暴力は振るわないまでも、大声で言い合ったり、水掛け論に終わる、言った言わないのやり取りを延々と続けたり、結局お互いが後味の悪い結果となっていた。そして、その後味の悪さを糊塗するために、酒を飲むという、悪弊。
電車や街中の雑踏などでも、嫌な思いをすることが減った。誰かとぶつかったり、雨の日に傘が当たったり、その他接触で以前はついつい頭に来ていたのが、(まーまー、仕方ないよ。怒らない怒らない)という感じでやり過ごしている。でも、これもまだ、3回の内2回だな。
こんなに大事なことが分かって来たのに、頻度はかなり減ったとは言え、それでもまだ、怒ってしまう自分がいるけれど。。。まだまだ、怒らない修練が足りませんな。
そこで、《怒らない練習(断酒167日目)》より、これを再掲。
『怒りは紅蓮の炎 心静かに白蓮の華』
自分の心の中で紅蓮の炎を燃やすより、白蓮の華を咲かせるほうを選びたい。炎は飛び火し、あらゆる所に燃え広がる。華は、心の中いっぱいに咲き誇れば、こんなにも素晴らしいことはないからね。
家族にも、「最近あんまり怒らなくなったね」と言われるようになってきた。
酒の他に、怒りも断ちたい。怒りは、酒と同じくらい、断つのが難しい。しかも、怒りは、酒と同じくらい害がある。
アルボムッレ・スマナサーラ長老の『怒らないこと』をまた読むことにしよう。
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たまには、写真を...
5年前の今頃、義父が撮影した、田園アートと、アヤメ。
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