先日の記事に関連するし、これも何度も書いているが、やっぱり書きたい。
世の中に、アルコール依存症という病気があり、その治療をする医者もいて、各種の薬もある。入院治療という手段も整備されている。同じ病気を患い、回復した仲間が数多く集う断酒会やAAという自助の会も、全国的に組織されている。
この病のことは研究され、その原因や対処方法も、明らかになっている。
しかし、大前提がひとつあって、それは、酒を断つ道を歩むのは本人であり、家族ではないということ。当たり前過ぎることだが、飲んでいる本人が、それを断つ気持ちがあるかどうか、が一番の肝なのである。
その道を家族が一所懸命歩いているのに、当の本人は渋々付いて来ているケースを、多く見かける。家族に尻を叩かれ、医者へ行き、薬を処方されたり、入院治療をしたりしている姿は、丸で、やる気のない受験生を、無理やり学習塾へ入れて、それ勉強しろやれ勉強しろ、と鞭打っているように見える。
本人が自分の問題飲酒が病気であることを認め、そこから立ち直りたいと思わぬ限り、どんな治療を施しても、再飲酒する確率はかなり高いようだ。受験生で言えば、どうしてもあの大学に入りたい、だから勉強するんだ!という気持ちが本人に無ければ、何年挑んでも、浪人のままということだ。
飲酒問題を自分のこととして受け入れ、気付き、そこから脱出したいと真摯に願うなら、それが最初の一歩となる。飽くまでも、問題飲酒者本人が気付かないと先へは進まない。
これが、他の病気と違うところだ。
インフルエンザならば、家族が気付き、熱を測り、病院へ連れて行く。医者の適切な治療で、早く治る。病気の元(インフルエンザウイルス)の増殖を断つ薬があるからだ。タイミングにもよるが、もし、薬が功を奏しなくても、高熱を出すことにより、身体の中でウィルスをやっつけ、ある期間経つと、治る。
アルコール依存症は、家族が気付いても、病院へ連れて行っても、治療を受けても、服薬しても、何をどうしても、そこに本人の自覚というものが無ければ、病気の元(酒=アルコール)を断つことが出来ない。
本人の自覚と希望があれば、通院・入院・服薬・自助の会はとても頼りになり、飲酒の暗闇からの脱出と言う行為には、心強い味方となる。それが弾みとなって、アルコールの引力を振り切り、今まで衛星としてグルグルと囚われていた自分が、一つの惑星として独立できる。
ここからは、気付いて目覚めて行動を起こした人のこと。
最初の一歩は、自分の意志で出すしかない。
最初の一歩は、踏み出すのに勇気と力ときっかけが要る。
最初の一歩は、歩幅が1mmだって、前進だ。
最初の一歩は、あたかも別世界への旅ような気がする。
最初の一歩は、二歩目、三歩目へと続き、山頂へと導く。
最初の一歩は、遅すぎるという事はない。
最初の一歩は、何度だって踏み出せる。
赤ちゃんが歩き出すとき、必ず自分の足で、自分の意志で、最初の一歩を踏んでいる。今、普通に歩いている人は皆、最初の一歩を自分で踏み出したのだ。
今、酒をやめている状態で、強い飲酒欲求と闘っている方は、それが自分で踏み出した一歩の成果なのだ。きっと乗り越えてゆくことが出来る。同じ思いをしてきた者として、心から応援する!
ここで、今日訪れた歯科医院での待ち時間に、たまたま置いてあった雑誌を手に取ってみたら、その1ページ目に、《こころにしみる言葉》として、こんな素敵な文言あったので、皆様にもお伝えしたい。
『The greatest glory in living lies not in never falling, but in rising every time we fall.
生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。
転ぶたびに起き上がり続けることにある。』
(ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ)
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