書き始めた頃のブログは、自分の為だった。苦しみを紛らわせるのと、心の整理に必要だった。
断酒の苦しみからほぼ解放された今でも、ブログを書き続けているのは、自分の為が半分。あとの半分は、私が気付いたことを、何とか一人でも多くの人に知ってもらいたいからだ。
毎日色んなことを書き続けていると、文章の中に散りばめられた言葉が、キーワードとなって、酒で失敗したり、二日酔いで苦しんでいる人が、ふと検索した時に、引っかかって読んでもらうことが出来るかもしれない。
これは、当ブログのアクセス解析で、ある程度分かる。ブログ村以外からの、検索からのアクセスでは、断酒絡みの検索キーワードによる表示結果から飛んできているからである。
因みに、検索で閲覧されている過去記事の中では、去年(2013年)の7月19日に書いた『アルコール性認知症の恐怖(断酒127日目)』が、ダントツにTOPである。毎日のように、この記事だけは数多くの方に読まれているようだ。
酒を飲まない人や、飲んでも適量の人は、そもそも《アルコール性認知症》などでネット検索をしないだろうから、この記事に辿り着いた人は、大量の酒を毎日飲みつつも、それが原因でアルコール性認知症になるのが怖いのだろうか。
私がまだ若く、飲酒の傷が浅かったころには、インターネットなどという便利なインフラは無かった。携帯電話は、私が三十路を迎えた頃、極一部の人が使いだしていた。今の機種に比べたら、かなりごつくて、しかも通話機能しかない代物だった。
若かりし頃の、酒を飲み過ぎて失敗し、ひどい二日酔いに悩まされる日は、朝から、もう、酒は要らない・飲まない、と思ったものだ。もちろん、夕方になってアルコールが抜けてくると、そんな誓いはどこへやら。。。だったが。
もし、この頃に、今のようなインターネット環境があったなら、恐らく私も、様々なキーワードで検索していたと思う。飲み過ぎた時の苦しみは、経験者ならば誰でも分かるように、半端ではない。何とか楽になる方法を必死で探しただろう。その時に、今自分が書いて発信しているような情報にぶつかれば、ひょっとして、もっと早く断酒の道に進んだかもしれない、などと考える。
飲酒の深みにハマる前に、足抜き出来れば、どれだけその後の人生が明るくなるか。酒の傷が浅いうちに、手を引いてしまえば、少なくともその後、酒で悩むことはない。だが、このことは誰も教えてくれない。
成人してから、昨年断酒を思い立つまで、私に、「酒はやめたほうがいいよ」とか「酒は飲まないほうがいいよ」と助言してくれた人は、いない。親兄弟、親戚、知人、私の酒癖を知っている人は沢山いるが、誰も、やめろとは言わなかった。
世の中を見渡すと、かなり傷が深く重症化した人を救う環境はあるが、まだかすり傷程度の人に、もうその辺りで止めておきなさい、と助言をしてくれる風潮は、皆無だ。自分で気付くしかないのだが、私も30年以上かかった。
飲酒と言うものの本質を教えてくれる人やサイトと言うものが、かなり少ない、どころか、無いと言っても過言ではないかもしれない。飲むのを前提に、上手な飲み方とか、二日酔いにならない飲み方を伝授してくれたり、病気になったら、医者に掛かりなさい、とか、こういう症状はアルコール依存症である、という本やサイトは多いけれども。
酒が身体に良いとか、悪いとか、の議論の前に、飲酒そのものが人間には不要であるということを、私は広く述べ伝えて行きたい。
飲酒という、作られた習慣に従う必要など、更々ない。飲んで病気になる道を、わざわざ進むことはない。人生には、もっと大事なことがある。
これは、昨日の朝買ってきたナスを、ミョウバンを使って塩漬けにしてみたもの。なかなか、うまく漬かった。こんなもので、かみさんは喜んでくれた。飲んだくれて引っくり返っていた頃が、バカバカしい。
はっきり言って、酒なんぞ飲んでいるより、余程楽しい!カネもかからない。ナス5本で100円、ミョウバン108円、塩はいくらだろう、今回使った分で数円かな? あとは水を500cc。
特に漬物用の道具は揃えず、家にあったものを使った。石は、川から拾ってきた(笑)
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