断酒を決意し、実践中ではあったものの、ふとしたきっかけで、スリップしてしまった、と言う人もいる。
きっかけは、色々だろうなあ、と思う。その色々のいくつかは、どんなものかは分かる。私もついうっかり酒に手が伸びそうになったことは何度もあるので。
全ては無理だけれど、一部なら、防ぐことが出来る(かもしれない?)「四かく」と言うのを、ここに披露してみよう。
ネタ元は、私が30年くらい前に読んだ本。大阪の丸ビルを作った、「大日本ドケチ教教祖」を名乗る実業家の吉本晴彦という人が書いた本だった。
さて、その四かくとは・・・
「恥かく」「見栄かく」「義理かく」「情かく」
・・・だったと記憶している。その本が手元に無いので、確かめようがないが、読んでいて妙に語呂がいいので、なるほどと、納得した覚えがある。
元々は、無駄遣いをしないでお金を儲けて貯めて、必要な事には、ドーンと使おう、というような商売の基本のようなことが書いてあった。せっかく若い頃にいい本を読んだのに、残念ながら私は、お金持ちとは無縁である(笑)ただ、今日ふと思い出したこの四つの教義だが、そういえば酒を断ってから、こと飲み会に関しては、結果的には、この四かくで過ごして来たようだ。
ひとりで飲む機会ではなくて、主として、複数メンバーで飲まなければならない時に、断酒の為なんだ、と開き直って、この「四かく」を念頭に置くと、効果抜群だと思う。
「恥かく」→最初はあれだけの飲んだくれだった自分が断酒したことが訳もなく人前では恥ずかしいのだ。しかし、敢えて一度だけ恥を掻けば、二度目からは大丈夫!
「見栄かく」→酒豪を誇っていた時期があるかもしれないし、酒では人より優位に立っていたかもしれない。が、そんなものは見栄に過ぎない。一度欠いてしまえば、二度目からは大丈夫!
「義理かく」→義理で出る飲み会ならば、欠いていいのではないか。欠席!
「情かく」→久しぶりに会う友人・知人・先輩・後輩・同級生・恩師・親戚・親類・・・との飲み会とか、仕事絡みで、どうしても座を外せない宴席がある。当然出たほうが良いし、出なければならないが、何も一緒に《酒》を飲む必要はない。一緒に酒を飲まねばならぬという、下らぬ《情》を捨てて、本当の《情》で持って、シラフでソフトドリンクでもって付き合えばよろしい。
一度この「四かく主義」で、全てのアルコール関係から訣別してしまい、ある程度の期間それを貫き通すと、別の世界が開けてくる。私の場合は、酒絡みの会合がもしあっても、断酒者ではなくて、不飲酒者として普通に出ている。(飲み会の雰囲気が嫌いなので、出席する機会はかなり限られるが。)
嫌われたくない、とか、いい人でいたい、とか、誰からも好かれたい、とかの、八方美人的な願望や性格を引きずったままだと、断酒の継続は困難である。これは、はっきりしている。
どうしても、仕事の付き合いとか、接待などで夜の飲み会が避けられないとしても、心の中でこの「四かく」を守って切り抜けたらどうだろうか。他の参加者との違いは、ただ単に酒を飲むか、ソフトドリンクを飲むか、だけであり、その場にいて、話をすることに変わりはない。
今まで飲んでいたのに飲まなくなって、ちょっと恥掻いて、自分は酒も飲めるという見栄も欠いて、一緒にアルコールを飲むという義理も欠いて、一緒に酔っ払うという情を欠くだけの話で、相手に対しては全然失礼には当たらない。
飲めた人間から、飲めない下戸に生まれ変わっただけのこと。
最後に、昨日の秩父で面白かった写真を・・・
↑一体なんだ?なにがおもしろい?(中央に何か小さいのがいる・・・)駅を降りて数分歩いたところで、民家の板塀の下に、何やら発見!
↓ミニミニの牛さん!
↓お尻も可愛かったので、撮ったら・・・
なんだこりゃ!ピンボケ!でもかわいいネ!
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