二日続けて感想文を書いた、『実録! あるこーる白書』で、一番私の心に引っかかって離れないのが、イネイブラーである。
私がこれまで、このブログで書いて来たことは、ほぼ100%自分がかつてそうであった問題飲酒者すなわち、アルコール依存症(以下、アル症)本人の事である。張本人が、自分自身が病気であることに気付かなければ、回復はない、と言う事を書きたかった。
実は、アル症者が一人いれば、その周りに、その人の面倒を見る役回りの、もうひとり(或は複数人)が、いる場合が多い。それが、イネイブラーである。
私は、かみさんがイネイブラーになる前に、あるきっかけにより、自分で気付いて、断酒の道を選んだ。なので、これまで、イネイブラーのことは、知識として知ってはいたが、このブログに書いたことは無かった。自分からは縁遠い問題だったからである。
イネイブラー(enabler)とは、ある種の問題行動を、嘆きつつも、実はしっかりと助けている存在だ。
旦那のアル症で、悩み、疲れ、困り果てているように見える妻が、本当のところ、旦那がいなければ、自分は生きていけないから、旦那の飲酒を助けてしまっているような感じだろう。
アルコール依存症ばかりでなく、子供の不登校や引きこもりなどでも、母親がイネイブラーになっていたりするらしい。
モノの本によれば、こうしたイネイブラーの役割を演じている人々は、実は自分自身のこと、自分の本当の人生を真摯に考えることから逃げて、その情熱を、旦那や子供の世話をすることに燃やしているようだ。で、問題行動をとる人と、イネイブラーの関係が、共依存と言われる。
確かに、「人」という漢字のように、お互いに支えて立っているようなもので、共に依存して生きている。
アル症の人も、イネイブラーも、共に「分かっちゃいるけど、やめられねー」状態なのだ。本当は、どちらかが、その役割を放棄すれば、共に立ち直るのかもしれないが、それには、当事者たち以外かつ専門家の介入が必要だ。
アルコールの底なし沼にハマって身動きが取れないのは、飲んでいる本人だけでなく、世話を焼くイネイブラーも同じことである。この辺り、もっと何とかならないものだろうか。
イネイブラーの苦悩は、アル症者がこの世から消えるまで続くのかもしれない。
桜の木から遥か遠くの月を望む。
夜明け前の朝焼け。
蝋梅が咲いていた。
蝋梅のつぼみ。
今朝は、2時間ばかり早朝ウォーキングをしてきた。
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