『断酒とは、飲む人間が死んで、飲まない人間に生まれ変わることだ。』
いきなり、何を言ってんの??
と、面食らわれそうだが、これが、最近の私の、正直な気持ちだ。
酒を大嫌いになれば、酒を飲みたいという激しい衝動から解放されるだろうと、本で読んだり、ネットで調べたりして、酒害を毎日毎日ブログに書いていたのは、いつごろまでかな〜。最近、そう言ったことは、ほとんど書いてないな。
そう言えば、愛酒家の酔っ払いネットサーファーから、何度も、「酒の悪口を書くんじゃねぇー!」との、コメントが入ったこともある。それで、ブログの先頭に、「このブログは元飲んだくれ現断酒中の《のみすけ》が書いているので、酒を愛する人は、無視してねぇ〜」との、注意書きを入れたのだった。
今でも、酒をやめるには、酒を大嫌いになる「酒の悪口療法」が一番効果的だと自負しているけれど、今の私が酒を大嫌いかと言うと、そういう心理ではないことは確かである。口に入るものを、好きとか嫌いとか表現するのは、いつでもそれを飲食出来るからで、封印してしまった酒は、そんな評価の対象外になってしまった。
世の中での酒の存在をどう思うかと問われれば、害多くして益少ない哀れな飲み物、とでも答える。
冒頭の言葉にあるように、酒飲みの《のみすけ》は、いつの間にか死んでしまい、酒を飲まない《のみすけ》に生まれ変わったような感じがする。
たまにかみさんがふざけて、「晩酌にどう?」なんて、スーパーで、新しく出た酒を手にとって、ぬッと、私の眼前に突き出したりするけれど、私はほぼ無反応である。かみさんに言い返す言葉は、「あんたが飲みたきゃ買えば?」
(うちのかみさんは、体質的にアルコールを受け付けない人間なので、買うわけがないけれどネ(笑))
心の中では、あー、飲んだくれのオレはもう死んでいないんだな、と思っている。
もちろん、飲んだくれ時代のDNAは、私の体内のあらゆる細胞にそのまま存在し、虎視眈々と復活のチャンスを伺っているだろうし、深層心理に沈む、酒を飲まそうとする小悪魔も、いつだって飲んだくれ《のみすけ》の復活を目論んでいる。
酒及び飲酒への油断は絶対にしないよ~!
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