このブログ初の、酒を擁護する記事を書いてみる。
(と言っても、飲酒を勧めるわけではないので、予めお断りしておく。)
毎日のように、三面記事を賑わす、酔っ払いの事件。多くの酔っ払い犯は、取り調べに対し口にする言葉が決まっている。
「酒に酔っていて、覚えていません。」
これ、裏を返すと、
「酒がやったんです。私ではありません。」
と同じだろう。
飲んだのは自分。酔ったのも自分。だから、覚えていなくたって、悪いのは酒を飲んだ自分であって、酒は悪くないのである。
これまで、私は、自分の断酒のために、《酒の悪口療法》と称して、酒を徹底的に嫌うことにより、酒を飲まないでいるための精神的なパワーとしてきた。これは、酒を断つ初期の頃のやり方としては、かなり強力であり、今でも自信を持ってお勧めする。
が、この《酒の悪口療法》のお蔭で、酒を飲まない生活が板に付いて来たら、あれだけ嫌っていた酒への憎しみが、いつの間にか消えてしまった。
酒は、悪くなかったんだ。悪かったのは、それを見境も無く毎日飲んで酔っ払っていた自分だと、今頃分かった。
もうひとつ、やっと腑に落ちたのは、自分には酒を飲む資格がないと言うこと。これは、運転免許を持っていない人が車を運転してはいけないのと全く同じこと。かつての私は、無免許運転ならぬ、無免許飲酒をしていたのである。
飲酒の免許はどこで取得できるのか知らないが、所持しているかどうかは、誰にでも分かる。これまで酒を飲んで、問題を起こしたことが無い人は、飲酒免許所持者。一度でも問題を起こしたことがある人は、無免許飲酒者である。
免許を持っていないのに、車を購入して運転したら危ないし、法律違反。これと同じで飲酒免許の無い人が、酒を購入してしこたま飲んだら危ないし、酔っ払って法律違反となる行為に及ぶ可能性大。
「酒に酔っていて、覚えていません。」
これは、当たり前。そもそも、アルコールに侵されて、脳の記憶の入り口の海馬がその仕事を放棄しているので、覚える前に、情報が記憶すらされないのだから。
一度でも、酒に酔って前夜のことを覚えていない経験をしたことがある人は、また同じことを繰り返すに決まっているのだから、もう飲まないほうが良い。
酒は、お神酒として、神棚に捧げたり、料理の調味料として使ったりしよう。家にある酒は、適量を味わって飲むことの出来る人に、気前よく上げてしまおう。
酒を断ってしまえば・・・
酒代はかからないし、二日酔いなんてないし、24時間いつだって車を運転出来るし、電車で終点まで行ってしまうこともないし、ボッタクリの店で騙されることもない。
酒を手放し、飲まない自由を満喫する。これ、慣れると中々乙なもの。
これから、年末の酒盛りオンパレードの季節へと突入するわけだが、断酒して、世の中のアルコールのバカ騒ぎを高みの見物するのも、おもしろいかも(笑)
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